小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』で連載中の「プリンス堀潤のそもそもキーワード」。今回は「障害」について一緒に考えます。

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 みなさんは「障害者(※)」と聞いて、どんな人を思い浮かべますか? 目や耳の不自由な人、車いすや義足の人、それとも特別支援学級に通う子ども? 今回は「障害」について一緒に考えましょう。

 ぼくがNHKのアナウンサーだった時代、新人研修で「障害者」という表現をめぐってディスカッションをしたことがあります。「障害」という言葉の響きには、どこか突き放したような冷たさがないだろうかと議論した結果、放送では「障害のある人たち」などを使おうと決まりました。でも、ぼくの心にはモヤモヤとした感情が残りました。どんな表現を使おうと、結局「健常者」と「障害のある人」とを区別することになってしまうんだな、と。

 数年前、軽度の知的障害のある男性が、こんなことをぼくに教えてくれました。「障害は私たちの外にあります。“障害者”という表現は、社会の障害と向き合っている人、という意味ではないでしょうか?」

 この言葉に、ぼくは目からうろこが落ちる思いでした。確かに、車いすに乗った人は階段の通行は大変ですが、緩やかなスロープなら自由に行き来することができます。耳が聞こえにくい人が映画館に行ったとき、スクリーンに字幕が投影されていたら内容を理解できます。でも実際には、ぼくたちが暮らす町は「障害」だらけだからです。

 こうした日常の「障害」を取り除いていくことを「バリアフリー」と呼んでいます。世界では、人口の約15%にあたる10億人が何かしらの障害と向き合っています。障害の有無にかかわらず、人々は平等に権利が認められています。障害によって差別されたり、苦労が強いられたりしない社会にするため、世界各地でいろいろな取り組みが行われており、バリアフリーは、その基本となる考え方の一つです。

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AERA dot.編集部
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