オルロ  旧鉱山に建つソカボン(鉱山の女神)教会。この日は市場の日。95年前、大店や企業の占有に対抗し、小売り、鉱山労働者、職人たちが加盟する商業組合を発足させた。それを記念し、商売繁盛を願って、市場や町中を踊って回る。教会前のフォルクロール広場に、衣装をつけた参加者が集っている。
オルロ  旧鉱山に建つソカボン(鉱山の女神)教会。この日は市場の日。95年前、大店や企業の占有に対抗し、小売り、鉱山労働者、職人たちが加盟する商業組合を発足させた。それを記念し、商売繁盛を願って、市場や町中を踊って回る。教会前のフォルクロール広場に、衣装をつけた参加者が集っている。
オルロ  鉱山博物館見学ツアーに参加し、長い階段を下りて深く潜っていくと、広い坑道に出た。昔の坑内の写真や古い道具、鉱物などが展示されている。
オルロ  鉱山博物館見学ツアーに参加し、長い階段を下りて深く潜っていくと、広い坑道に出た。昔の坑内の写真や古い道具、鉱物などが展示されている。
オルロ  その中腹には、マリアと乳飲み子の像があった。手に持つキャンドルは、昔、坑道の暗闇を照らし坑夫を導く大切な灯だった。今年2月に、町を見守っていたこの像をはるかに凌ぐ、高さ45メートルの巨大なマリア像が完成したそうだ。カーニバルで有名なリオデジャネイロに立つ、コルコバードのキリスト像より大きい。
オルロ  その中腹には、マリアと乳飲み子の像があった。手に持つキャンドルは、昔、坑道の暗闇を照らし坑夫を導く大切な灯だった。今年2月に、町を見守っていたこの像をはるかに凌ぐ、高さ45メートルの巨大なマリア像が完成したそうだ。カーニバルで有名なリオデジャネイロに立つ、コルコバードのキリスト像より大きい。

 昨年、中南米縦断の旅をしていた私が、ちょうど今頃の季節に訪れたのがボリビアだ。いつものようにガイドブックを調べていて、ふとポトシの銀山ツアーが目にとまった。かつて、ポトシを筆頭とするボリビアの鉱山は、おびただしい銀を産出してスペイン帝国の繁栄を支えた。それらの鉱山が枯渇した今でも、錫や亜鉛や天然ガスなどの資源が豊富だという。それを読んで、以前、オーストラリアで参加した金山ツアーを思い出した。坑夫と同じ装備をつけて地下深くもぐり、引退した坑夫のガイドの説明を聞きながら坑道を歩き、電動ドリルで穴を開ける体験までできる、大変面白いツアーだった。今回もぜひ鉱山見学をと思い、「ここからマドリッドまで銀の橋がかけられる」と謳われるほどの埋蔵量を誇ったセロ・リコ銀山のあるポトシを訪ねることにした。

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 標高3,800メートルの世界一高い所にある首都ラパスから標高4,000メートルのポトシまでは、バスで8時間かかる。途中で、標高3,700メートル、銀・錫鉱山で一世を風靡したオルロの町に立ち寄った。鉱物資源の枯渇や相場の下落などで町は廃れたが、最近は南米三大祭の一つに数えられる世界無形文化遺産のカーニバルで知られるようになった。参加者4万人、観客40万人とも言われるそのカーニバルには、古くからインディオが信仰してきた鉱山の神や洞窟の精霊役も登場するらしい。旧鉱山の上には、ソカボン(鉱山)女神を祀る教会が建ち、隣には鉱山博物館があった。旧坑道を整備して、古い写真や道具が展示してある。山の中腹には、赤ん坊を抱き暗い鉱山内を照らすキャンドル持った大きなソカボン女神像が立っていた。インディオが信仰してきた大地の女神パチャママは、征服者のスペイン人がもたらしたキリスト教の聖母マリアと相俟ってソカボン女神となり、原住民の心と町を見守っているように見えた。

 オルロからバスで5時間、アルティプラノと呼ばれるアンデス高原をさらに南へ走るとポトシに着く。そこに至るまでの車窓で見た荒涼とした大地や雄大な山々、素朴なインディオの生活といった風景からは、想像もつかないほど美しく重厚なコロニアル建築でできた街並みが、お目当てのセロ・リコ銀山の麓に広がっていた。中南米各国の首都の壮麗さには及ばないものの、「途方もなく豪華な土地」と小説ドン・キホーテにも書かれた姿そのままの町が眼前に立ち上がってくるかのようだ。セロ・リコとは、スペイン語で文字通り「宝の山」を意味する。さっそく町の旅行代理店を何軒かあたり、ツアーの相場や内容を確認して、受付の人が気さくで和やかな雰囲気の店で申し込んだ。

 いざ、宝の山へ! ・・・…と、わくわくしながら参加したツアーだった。しかし、支度をして、坑夫たちへの差し入れを買い、先に精製工場を見てから2時間ほど鉱山内を歩いて、計4時間ほどのツアーが終わる頃には、オーストラリアの金山ツアーとのあまりの違いに、絶句してしまった。他の欧米人参加者たちも言葉を失っている。

 往年の宝の山は無残な姿をさらしていた。人を食う山として恐れられ、銀を食い尽くしただけでなく、800万人のインディオの強制労働者を犠牲にした、その劣悪な環境が、今でも続いているかのようだった。一見美しいポトシ市街は世界遺産に登録されているが、過去の奴隷労働を戒めるため、「負の世界遺産」に分類されている。そのわけが十分納得できた。

 昔はオーストラリアの鉱山労働も苛酷だった。しかし、設備投資をしてシステムを近代化し、労働環境や条件を整えてきた。それに比べてセロ・リコの坑夫たちは、手掘りと言えるほど簡単な装備と道具で作業していた。貧しい農民が少ない元手で手っ取り早く始められるという利点はあるだろうが、あまりに粗末だった。坑夫の多くは鉱山協同組合に加入しているが、保険や年金の制度は整っておらず、税金は免除されている。鉱山の中には、ティオ(おじさん)と呼ばれる鉱山の守り神がいて、この像に酒を含ませタバコやコカなどを供えてご機嫌をとり、安全を祈願するそうだ。角を生やしたティオの姿は、支配者だったスペイン人を鬼に見立てたようなものだろうか。坑道は狭く、天井は屈んで歩いてもしばしば頭をぶつけるほど低く、手押しのトロッコがやってくると、壁にそって脇に身を寄せなければならなかった。下の層に下りる時は、落とし穴のように空いた穴から飛び降り、朽ちかけている梯子をつたった。そして、奥に行くほど狭くなる坑道を、時には数百メートルも匍匐前進し、急にぽかんと空いた穴のような空間に出たかと思うと、再び右や左にいくつも側道が伸びている狭いトンネルを進んだ。まるで蟻の巣だ。一体自分がどの深さのどのあたりにいるのか見当もつかなかった。ただでさえ空気の薄い高地の鉱山内部は、大変息苦しい。しかし、粉塵が舞うだけでなく、所によってはアスベストや有害物質があるとガイドが言うので、うかつに口や鼻を覆ったスカーフを外せない。もちろん、鉱山の中は、ヘッドライトで照らしていても一寸先は真っ暗闇。そのような坑道を、元坑夫の若いガイドは頭もぶつけず道も違えず、すたすたと進んでいく。「インディ・ジョーンズになったみたい、使われていないトンネルを行っているのでしょう?」と聞くと、「これが現実だ」と答えた。
 
 途中、側道の入り口で、コカの葉を噛みながら休憩している坑夫の親子に会った。ガイドが話しかけると、田舎から出て来て現金収入を得るために、ここで働いているという。協同組合を伝って来て、自分の農地は手放していないようだ。水以外の食べ物は取らず、こうしてコカの葉を噛んで空腹や疲れを紛らわしながら、一日8時間は働くという。表情もなく疲れた様子だったので、挨拶をして市場で買った差し入れを渡して先へ進んだ。
 
 ツアーを終え、一目散でホテルに戻りシャワーを浴びて生き返ったところで、町外れを散歩した。4千メートルの高地の空気は澄み渡っている。日本では拝むことのできない、真っ赤に染まった夕暮れだ。深呼吸しながら、先程のツアー中、ガイドが、「あっ、聞こえるか、爆発した、ほら」と言って立ち止まったことを思い出した。別の場所で坑道を開くためにダイナマイトを使った音だったが、ガイドについていくのに必死だった私の耳には、わずかな振動音にしか聞こえなかった。アンデス高原で時折見かけた、暖房や電気もない、土や日干しレンガの小屋、乾いた小さな雑穀の畑、その周りで羊を追っているインディオたちのことも瞼に浮かんだ。広大な大自然のひろがる大地のように見えたが、ここにも古くから人が住み、低地インディオとの交易や祭祀などの活動が行われてきたのだと本に書かれていた。この人たちに、私たちと同じような社会や人生は無い。しかし、家族がいて生活があって、労働をしていることにはかわりがない。日暮れと同時に厳しい冷え込みが襲ってきた。この荒涼とした大地にもパチャママやティオという神羅万象の存在を感じ取り、鉱山労働であれ農作業であれ、体を張り、細心の注意を払いながら、荒々しく苛酷な自然環境に折り合いをつけて暮らす人々がいる。この人たちこそが、アンデス高原の主なのだ、と思った。

<コカの葉の補足として>
コカの葉はコカインの原料で、興奮作用はあるが、精製した違法のコカインとは異なり濃度は薄い。高山病に効くので、アンデス原住民の間で伝統的に使用されてきたため、ボリビアでは合法だそうだ。