少しだけ立ち止まって、ちゃんと考えようとすればわかるはずなのに。
気付こうとすれば、見えてくる世界は全然違うはずなのに。
それなのに僕は面倒臭さがって、ずーっと何もしなかった。適当なこと言って、ずーっとやり過ごしてきた。それが何も悪いことだとも思っていなかった。
でも、自分が何となくやり過ごしている裏で、実際に誰かが苦しんでいたんだと思う。直接の知り合いではないかもしれないけど、血の通った、感情を持った、僕らと何ら変わらない人間が。
しかも僕たちが投票の時、もう少しだけ頭を使っていたら、そんな目に合わなかったかもしれないのに。今、目の前で流れているニュースに反応して声を上げたら、状況は少しでも変わるのかもしれないのに。
そんなふうに、想像力をはたらかせてみると、自分も誰かの苦しみに加担しているのかと思えてきて、どうしようもなく恐ろしい。
本当にごめんなさいって気持ちになる。
「原発なんて簡単になくならないでしょ?」
「米軍基地がなくなったら防衛はどうするの?」
「共謀罪は一般人には関係ないでしょ?」
「好きで大学行くのだから、奨学金を借りるなんて当たり前でしょ?」
「性暴力を受けても、仕方ないような格好をしてたんじゃないの?」
そういう言葉を投げかけるのって簡単だ。でも、それって力の強い者が、弱く小さき者を納得させるのに都合のいい言い訳なんじゃないですか?
為政者が国民の目を背けさせるために使っている常套句なんじゃないですか?
それをあたかも自分の意見かのように振りかざして、自分は大丈夫だと安心して、それで本当にいいんでしょうか。
適当なこと言って、考えることをやめて、できるだけ雑音のない世界を生きる方が、表面的にはずっとハッピーに決まっている。
毎日みんなそれぞれ忙しい。気付いたらまた次の1日が始まってみたいな生活していたら、政治なんて考えられなくても仕方ない。