●経団連の御用聞きでしかない安倍総理
安倍政権の働き方改革案の柱は、「残業時間の上限を月平均60時間とする」、つまり、年間720時間残業。国際標準から見ると先進国とはとても言えないひどい水準だ。
しかも、繁忙期には、「月100時間未満」まで残業可。100時間といえば、過労死ライン。過労死ギリギリまでは認めましょうと国がお墨付きを与えるというのだ。欧州では当たり前になった、勤務間インターバル規制(前日の退社時間から翌日の出社時間までの間に一定の時間を空けることを義務付ける規制。過労死を防止するために最も重要なもののひとつ)に至っては、義務化は最初からあきらめて、罰則なしの努力義務にしかならない。
労働時間を短縮するためにも、賃金を上げるためにも、生産性向上が必要なのは確かだ。しかし、政府はそのために、もっぱら労働者に「ペイが欲しければ、もっと働け」と強要している。政府・経団連にとって、「改革」の真の狙いは、実は残業代ゼロ法案などの労働強化策の方にあり、政府はその実現を狙っている。
ここまで来ると、安倍内閣の働き方改革の焦点は、最初からずれていたということに気づく。労働者の働き方を変えれば問題が解決されるという発想の「方向」が逆なのだ。
労働時間の短縮や最低賃金の引き上げなどは正しい政策だが、上述した企業経営の変革、そして、その結果としての企業の淘汰こそが成長戦略のカギを握るという本質が、理解されていない。安倍総理は、経団連の御用聞きをやめるべきだ。
そして、「働き方改革」の本丸は、労働条件がよくても儲かるビジネスを築き上げる「経営者たちの自己変革」、そして、それができない「無能な経営者の淘汰」にあることを、しっかりと認識してもらいたい。
ところで、こんなにひどい労働条件が、先進国である日本で許され続けた理由については、連合という労働組合の存在抜きには語れない。
ここでは詳述しないが、連合が基本的に、大企業正社員の既得権保護団体であること、また、労働コストカットでしか生き残れないという経営者の言い訳をそのまま受け入れる御用組合であり続けたことなどが大きな影響を与え続けたことは明確にしておかなければならない。
連合の正式名称は、「日本労働組合総連合会」。しかし、もはや、「組合」ではなく、「経団連労務部」と改称した方がよいのではないだろうか。(文/古賀茂明)