徳川5代将軍綱吉の功績の中に、「昌平坂学問所の整備」をあげてもよいのではないかと思っている。この学問所は、幕府直轄の学び舎として教育体制確立の一助となった。現在は湯島聖堂と呼ばれているが、東京大学やお茶の水大学などの前身でもあることから、受験生が合格祈願に訪れる参拝場所として知られている。
●日本政府初参加の万博成功と悲劇
3月10日は、湯島聖堂で日本最初の博覧会「湯島聖堂博覧会」(明治5年)が開催された日である。この博覧会は、翌年開催される「ウィーン万国博覧会」へ出品予定だった品々を展示したもので、当初20日間の会期予定だったものが、あまりの人気に4月末まで延長されたという。
「ウィーン万国博覧会」は日本政府が初めて公式参加し、日本館が建設された国際的な博覧会だ。浮世絵、工芸品、陶磁器など美術品の屋内展示だけに留まらず、屋外には神社や日本庭園、名古屋城の金鯱(きんのしゃちほこ)なども製作・配置され、高い評価を受けた。これを機に日本人による商社も設立、輸出貿易の振興に寄与したイベントと位置づけられている。
余談だが、実は「ウィーン万国博覧会」から出展物の半分以上は戻らなかった。明治7年、出展物と乗客を乗せ日本へ向かったフランス郵船ニール号は、伊豆半島沖で難破、192箱の出品物のうち68箱は翌年引き上げられたが、残りは今なお海の底である。南伊豆の海蔵寺に、この海難事故で亡くなった人の慰霊塔が残されている。
●日本最古の博物館
その後、ウィーンから戻った品々だけでなく、海難事故を聞いた英国の博物館からお悔やみとともに贈られたヨーロッパの美術品を、日本国内で披露しようと、展覧会が場所を変えながら度々開催されるようになる。