捕獲された2ヶ月後には病院スタッフの足にスリスリするようになった
<br />写真提供:小笠原自然文化研究所
捕獲された2ヶ月後には病院スタッフの足にスリスリするようになった
写真提供:小笠原自然文化研究所
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2005年自動撮影機が捉えたカツオドリをくわえたマイケル
<br />写真提供:小笠原自然文化研究所
2005年自動撮影機が捉えたカツオドリをくわえたマイケル
写真提供:小笠原自然文化研究所
海鳥保護のため設置したフェンスを何度も突破し、地元で写真提供:小笠原自然文化研究所">
海鳥保護のため設置したフェンスを何度も突破し、地元で"ルパン"と愛称をつけられていた黒猫は船に乗る前の数日で人に慣れた
写真提供:小笠原自然文化研究所
船から下りたばかりのときは威嚇こそしなかったものの警戒心丸出し(写真上)
<br />2ヶ月後にはすっかり家ネコの顔に
<br />(写真下)
<br />撮影:有川美紀子
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船から下りたばかりのときは威嚇こそしなかったものの警戒心丸出し(写真上)
2ヶ月後にはすっかり家ネコの顔に
(写真下)
撮影:有川美紀子

 東京都稲城市にある新ゆりがおか動物病院。ここに、ネコスタッフとして勤務(?)する一匹のオスネコがいる。名はマイケル。今でこそ病院スタッフに可愛がられているこのネコは、かつて、小笠原の岬にこのネコありと知られ、捕獲された当時は、人を見れば「シャアアアアアアッ!」と威嚇をするネコだったのだ。どのようにして小笠原の凶暴ネコが、東京の動物病院でアイドルネコになったのだろうか?それは、“小笠原流”ともいえる官民一体となった取り組みのおかげなのだ。

 マイケルの出自はさだかではない。飼い主の元から脱走したか、あるいは、小笠原で野生化したネコが産んだのか。東京から約1050キロ南にある小笠原村・母島の南端の南崎という岬で壮年時代を過ごしたようだ。どのくらいの数の野生化したネコがこの南崎にいたかは定かではないが、十分な餌があるわけではない環境、ネコたちも生きるために必死になっていたことは間違いない。空腹のネコの目先にいたのは、岬で営巣していた海鳥たちだった。ネコは鳥を襲った。食い荒らされ、岬が死屍累々といった状態であることが発見されたのは2005年のことだった。

 ネコは天性のハンターである。さらに小笠原では海鳥たちも、天敵となる動物がいなかった(ほ乳類はオガサワラオオコウモリしかおらず、キツネもイタチももちろんネコもいなかった)ため警戒心が薄く、あっという間にハンターの餌食となり捕食されてしまったのだった。

 野生化したネコにより希少な野生生物が補食されてしまう事態を憂慮した小笠原では、2005年に行政機関や現地NPOなどで「小笠原ネコに関する連絡会議」を発足させ、ネコの出現ポイントを把握するために自動撮影機を各所に設置、ここと決めたポイントに捕獲カゴを置いて捕獲に取組みはじめた。マイケルもその過程で捕獲されたネコである。マイケルは数ある捕獲ネコの中でも気性の荒さは群を抜いており、捕獲された際、確認のために人間が近寄ると、カゴごと1m以上飛びずさったそうである。閉じ込められたことにパニックになり、怒り、鼻はカゴにぶつけてすりむけて真っ赤。人に向かっての威嚇も猛然たるものであったという。

 捕獲されたネコの受け入れ先は、「小笠原の海鳥を守るため、そしてネコのため、動物を専門とする職業人としてできる協力をしましょう」と申し出てくれた社団法人東京都獣医師会となった。小笠原と東京を結ぶ定期船はだいたい6日に1便の運行なので、捕獲されてから出港日まで、ネコを飼育する施設「ねこまち」も2010年に開設された。東京まで25時間半の船旅の後、捕獲されたネコたちは受入を担当する獣医師の元へ運ばれ、そこで人間に慣れるための馴化が行われる。
 しかし、あの凶暴なネコがどのようにして人懐っこいネコになるのか? 受入動物病院によりいろいろだが、共通しているのは

●ネコを入れたケージを診療室内の人が多く通る場所に置く
●ケージを通り過ぎるたびに声をかける
●ケージ越しにおもちゃや棒などでじゃれさせる
●様子を見ながら抱くなどしてコミュニケーションを取る

 病院によっては、ほかのネコや、イヌなど他の動物と交流させたりすることも。また、エリザベスカラー(首の周りに装着するらっぱ状の器具)つけた状態で病院内を散歩させ、慣れてきたらカラー無しで散歩させるなどの工夫も行っている。こうして、早いネコなら1カ月、気性が荒いネコでも3カ月ほど経つとすっかりペット的ネコになるそうだ(マイケルは2カ月ですっかり人に慣れたという)。特別な訓練などではなく、日常的に接しネコに安心感を与えると自然とペット化する、これが“小笠原流ネコ軟化術”というわけだ。

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