それにしても映画を観て爽やかな気分になった。両者に気遣いと照れがあり、激動の只中にいる昂揚感と時代の主役を張る鮮烈な言葉に溢れている。

 現在の900番教室は改修工事中でがらんとしていたが、三島と全共闘のやりとりがどこからか聴こえてくる気がした。三島の「潮騒」ではないが、この講堂も彼らにはぽっかり浮かぶ幸福な小島のようなものだったかもしれない。

 映画では三島の晴れやかな顔が印象的だったと豊島圭介監督に伝えると、「(楯の会の)制服を脱がせてみたかった。いわゆるパブリックイメージから離れた三島と、彼に出会ってしまった人たちの肖像も。三島は巨人ですから、当初は(監督を任され)荷が重かったのですが、これを超えれば世界が広がると思った」

「言葉が言葉を呼んで、翼を持ってこの部屋の中を飛んでいった。諸君の熱情だけは信じます」と言った三島は学生たちがつけたニックネーム「近代ゴリラ」を気に入り、「私には非合法の決闘の決意がある。死んでもいいから(信念を)やり遂げる。近代ゴリラとして立派なゴリラになりたい」とマイクを置き、会場を去った。

「私の中の(戦後の)25年を考えると、その空虚さに今さらびっくりする」とは新聞に遺した三島の寄稿文である。「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」(サンケイ新聞70年7月7日付夕刊)。三島の自決はこの掲載後4カ月経ってのことだった。

週刊朝日  2020年3月27日号

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