人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は「『疎開』が始まった」。
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三月二十九日の日曜日、東京に雪が降った。満開の桜も凍えていたが、昼前、都心では雪は止んだ。
三月に雪が降ることは珍しくはない。異常気象だという人も多いが、東京で雪が降るのは三月が多いので、別に驚かない。積雪は一センチとか。あっという間に解けてしまった。
テレビでは軽井沢で二十八センチ積もったといっている。軽井沢は寒冷地のわりに、雪はあまり降らない。そのかわり一度降ると凍り付いてなかなか解けない。
旧軽に山荘があるので、これでまたしばらく軽井沢行きは遅れそうだ。
かつては冬も時間があれば行っていた。冬の軽井沢は人気がなく静寂そのもの。清浄な世界に浸ると心が洗われる。
もともと夏しか使えなかった山荘の隣に、冬いつでも行けるように、暖房完備の小さな居場所を作った。冬じゅう暖房は一番低い目盛りに合わせてつけっぱなしだから、水道は凍らずいつでも使える。
朝起きるとうっすら積もった新雪に、さまざまな足跡がくっきりついている。
小さいのは兎か貂か。狐や狸、猪とおぼしきものもある。ひときわ大きなのはたぶんカモシカだろう。山荘の二、三軒上の庭で散歩の途中見かけたこともある。
熊は冬眠中である。しかし森に向かって一直線に登っている足跡を見ると、動物たちの息づかいが聞こえてくるようだ。
“冬眠の獣の気配森に満つ”
その気配に耳をすませているのが楽しかった。
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三年続けて毎年一回ずつ、右足首、左足首、左手首と骨折したのをきっかけに、九年ほど前から冬は行かなくなった。すべってまた骨折したら悲惨である。そのかわり雪がなくなったら真っ先に出かける。
三月末、愛宕山の麓だから日射しは強い、ある日一面に小さな菫が花開くのを合図に、次々と春が目ざめる。その瞬間を見たいが、先日の雪で少し遅れそうだ。