人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は「燕が来た!」。
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長野に住む友人からメールが届いた。
「桜の開花が例年より十日ほど早いようですが、燕も例年より十日ほど早めに訪れました。自然界の植物や動物ってすごいなあと思います。地球と宇宙の流れに合わせて生きているんですものね」
いちめんの蒼空をバックに、電線に止まる燕が二羽。
この写真に久しぶりに癒された。
ようこそ、このコロナで汚れた日本に来てくれたものだ。
渡り鳥だから春の訪れに忘れずにやって来るのは当然だが、妙に感謝したい気分である。
燕は忘れずに去年と同じ家の軒先に巣をつくる。子供の頃、友達の家の玄関にその巣を見つけて驚喜した。泥や草で固めたその巣の中に親鳥は卵を産み、やがて雛がかえる。四~五羽、まるでくちばしだけのような、小さな雛がせいいっぱい口を開けて餌をねだる。真紅の喉の奥が見えんばかりに。
親鳥はせっせと昆虫などの餌を運び、雛はあっという間に成長する。そして巣立ちの時。気付かぬうちに巣が空っぽになっている。子供の知恵ではそれが巣立ちとは知らず、悲しくて泣いたりした。
メールをくれた長野の友人の家は、百年以上も経つ古民家なので、土間や屋敷門もあり、燕が巣をつくる軒先に事欠かなかった。
今では同じ土地に一年中棲みついている燕もいるそうだが、やはり燕が渡って来ることで春を知る暮らしはゆかしい。つばめ、つばくろ、つばくらめ、言葉変われど、かつて日本各地に燕は訪れた。人々も燕の訪れを待ちわびたものだ。その頃、私達の暮らしは自然と共にあった。