半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「コロナは文明の危機暗示と思えてならない」
セトウチさん
誰も来ないし、どこにも行かないで終日アトリエのソファーに横たわったままで、週刊誌を読んだり、メールを読んだり、メールを出したり、冷蔵庫の蓋を開けたり閉めたり、描きかけの絵の前に座ったり、立ったりで、一向に描こうとしません。畳三畳ぐらいの大きさの絵を描いているのですが、以前のようなシッカリした絵ではなく、半ば投げやりの落書きのような絵です。形が定かでない何やらガサガサしたというか、イライラしたような絵です。絵を作るというより壊すような絵です。こんな絵を数点描いてみようかなと思っています。
こーいう絵が描きたくなるというか、描けてしまうのも、コロナのせいと無関係ではないと思います。コロナは未知の体験へ連れ込まれていく不安と恐怖がありますが、そんな心情が絵にも表れているのかも知れません。だとすればコロナは僕の創作にかなり深く関わっているというか関与しています。絵の主題は何でもいいのです。絵がかもし出す雰囲気が出ればいいのです。コロナをテーマにはしていませんが、観る人の中には、コロナ感染の危機感を感じると思う人もいるかも知れません。
僕の場合、環境が絵の雰囲気を作ってくれます。ロサンゼルスの、陽光の強いベニスビーチの近くでアトリエを借りて描いた時などは、日本で描いていた湿気を含んだ空気の影響で梅雨の時期のようなどんよりした絵が、ベニスビーチに来るとガラリと南国的な原色の絵に変わります。今の僕の環境はやはりコロナに汚染されたイライラする病原菌にとり囲まれた空気からなかなか解放されませんので、やっぱり、コロナが絵の画面の中でパーッと拡大したような絵です。でもタイトルは「千年王国」です。ヨハネ黙示録のあとにやってくるかも知れない千年王国のイメージです。