美智子さまは01年、67歳のお誕生日にあたり、この頃のことをこう語っている。「ふり返りますと、社会の中で沢山の新しいことが、手探りのようにして始められていた時代であったように思われます」
この言葉で、まっすぐな目に得心がいった。昭和とは、みなが「手探り」で「新しいこと」を始めた時代だった。「初の民間出身皇太子妃」美智子さまも、そこにあっては手探りで進む一人だった。そうしてみなが同じく前を向き、日本は「戦後」を脱して未来をつかんでいった。
上皇さま(86)と美智子さまは日本の障害者スポーツ振興に尽力した。きっかけは、64年のパラリンピック。会期7日のうち6日間、会場に足を運んだ。先ほど紹介した美智子さまの言葉も、直接には「パラリンピックの隆盛など、両陛下が若い頃から積極的にかかわってこられた福祉の分野」について問われた答え。お二人が形にした「新しいこと」の一つに、障害者スポーツがあった。(コラムニスト・矢部万紀子)
※AERA 2020年5月25日号より抜粋