1965年、日本初のブライダルファッションデザイナーとなった桂由美さん。当時ドレスで式を挙げていた女性は、わずか3%。日本のウェディング文化を生み出した彼女にとっての結婚とは?
【前編「70着がキャンセル…桂由美、ウェディングドレス黎明期の苦労」より続く】
事業を始めて数年後。世界的デザイナーのピエール・バルマン氏が来日した際に、話す機会を得た。その後で氏は桂さんのサロンを訪れ、数多く並ぶウェディングドレスを見て「あなたがうらやましい」と言ったという。
「バルマンさんといえば、皇后陛下(香淳皇后)のドレスを作るなど、世界のVIPの服をデザインしていました。その方がおっしゃったんです。『私がこの世で一番美しいと思うのは、花嫁姿です。でも私がウェディングドレスを手掛けることは、年に2~3回しかありません。毎日ウェディングドレスに囲まれて働いているあなたがうらやましい』と。そのとき、これこそ天職だと思いました。私の一生を決めた台詞です」
その一方で、自身の結婚は……。
「見合いの話はあったんですが、皆さん、専業主婦になることを求めました。それはできませんでした。それで、今でいう負け犬になったんです」
しかし40歳を過ぎた頃から、結婚への願望が膨らみだしてきた。一人で残りの人生を過ごしたくない、と。
「そう思ったので、素直に周囲の人にお願いしたんです。『誰かいい人がいたら紹介してくださいね』と」
42歳のときに、華燭の典を挙げた。相手は、大蔵省造幣局長を経て中小企業信用保険公庫の理事を務めていた53歳だった。
彼にとって桂さんは36回目の見合い相手。プロポーズの言葉は「20年前に会いたかったね」だった。帝国ホテルで開かれた披露宴。新郎は挨拶を「売れ残り同士、仲良くやります」と締めたという。
「40にもなって結婚したいだなんて、恥ずかしくて言えないという女性もいるでしょう。でも私は、望みは言葉に出してこそかなうと信じています。それが幸せへの近道だと思いますよ」