
日本で多くの芸能人が検察庁法の改正案に反対して話題になったが、米国のスターならこれは当たり前。黒人男性の暴行死事件に対する発言も続く。彼らは闘争を経て、表現の自由を勝ち取っていた。AERA 2020年6月15日号に掲載された記事で、その歴史を遡る。
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「俳優はSNSで政治的な発言をするべきでしょうか」
米国の俳優向け業界誌「バックステージ」の2017年11月の悩み相談に、こんな相談が載った。回答者の答えはこうだ。
「もちろん自分の考えは自由に口にすべきです。ただし、頭を使うこと。あなたは有名俳優、コメディアン、政治風刺コラムニストですか? そうでないなら政治批判ばかりのツイートをキャスティングディレクターがどう見るでしょうか」
新人時代は敵をつくらないほうがいいですよ、という現実的な回答が笑えるが、大物なら政治発言は自由。もちろん発言しない自由だってある。それが米業界の模範回答らしい。
とはいえエンタメ界のスターたちも最初から発言の自由を手にしていたわけではない。
ハリウッドが20世紀初頭に誕生したとき、支配的だったのは映画の大量生産工場と呼ばれるスタジオシステムだった。当時の俳優は映画会社(スタジオ)と長期契約を結ぶ一社員にすぎず、私生活やインタビュー発言まで徹底的に管理された。政治がらみの発言をすると映画会社幹部から「イメージを壊すな」とお叱りの電話がかかってくる。日本の芸能事務所とタレントのような関係だったのだ。
俳優を拘束する電話をかけてくる筆頭が、映画会社MGM会長でハリウッドの生みの親と言われるルイス・B・メイヤー。彼は共和党のカリフォルニア州支部長を務めた保守で、共和党の選挙用宣伝映画も製作した。
俳優たちが発言力を獲得し始めたのは1930年代の世界大恐慌期。スタジオ側が一方的に給与半減を言いわたすと、俳優や脚本家たちはストライキを起こし、労働組合を結成した。「最初の政治的俳優」とされる喜劇王チャーリー・チャプリンの活躍もこのころ。「反戦平和・人道主義」で知られ、ホームレスが警官をおちょくるなど、庶民の立場から権威や体制をからかう喜劇を多く残した。