そして、“明徳のブーちゃん”を全国にアピールしたのが、3回戦の横浜戦だった。

 2対2の1回2死三塁のチャンスに、大会屈指の右腕・涌井秀章(現・楽天)から左前に勝ち越しタイムリー。4回にも外角高めの速球に詰まらされながらも、腕力で左翼席まで運ぶ公式戦初アーチ。馬淵監督は「あのホームランは真似できるもんじゃない」と絶賛し、打たれた涌井も「目が覚めた」と気合を入れ直した。

 さらに4対7と逆転された9回にも、中田は1死から中越え二塁打を放ち、処理がもたつく間に激走で一気に三塁を陥れたあと、次打者の中飛で5点目のホームを踏んだ。

 試合には敗れたが、4打数3安打2打点とチームの全安打の半分を一人で稼ぎ、「100キロまで体重を絞り、また甲子園に出場し、次は優勝したい」と雪辱を誓った。

 だが、翌05年は、県大会優勝直後に他の部員の不祥事で出場辞退の不運に泣き、再び甲子園に雄姿を見せることなく終わっている。

 このほか、96年優勝の松山商主将・今井康剛(170センチ、88キロ)、04、05年出場の青森山田のエース&4番・柳田将利(177センチ、89キロ)、10、11年出場の開星のエース・白根尚貴(186センチ、98キロ)らも記憶に残る巨漢球児だ。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球 を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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