たしかに、そうなんです。ある時期から若手の仏文研究者が19世紀文学に集まるようになったんですけれど、それはその領域に世界的権威の日本人研究者がいたからなんです。その分野なら、研究業績については客観的で厳正な査定が下る。だから、精密な査定を望む秀才たちはその領域に集まってきた。でも、もともと仏文というのは、中世から現代まで、歴史や詩や小説や哲学など、多彩な領域に研究者が「ばらけて」いたんです。みんなが勝手なことをやっていた時代の仏文は面白かったけれど、特定領域に若い研究者が集中するようになってから仏文の空気が一変して、なんだか重苦しくなった。

 結果的に、仏文科に進学してくる学生がいなくなり、仏文科がなくなり、仏文学教員のポストがなくなり、学会そのものが見る影もなく地盤沈下してしまったんですけどね。

岩田:内田先生はその仏文学の衰退の話を、いろんな本でよく書かれていますけど、じつはそれって、日本の学術界全体で起きていることでもあります。ノーベル賞の山中伸弥先生が「阿倍野の犬」という喩え話をよくされるんですけど、「アメリカの犬は頭を叩くとワンと吠えたから、大阪の阿倍野でもアタマを叩くとワンと吠えるかどうか確かめてみよう」みたいな二番煎じの研究が、自然科学分野でもかなり増えているということです。なぜならやはり、査定が簡単だからですよね。論文も書きやすいし、手法も知られているので査読者の覚えもいいんですが、そんな研究には何のイノベーションもありませんよね。

内田:ほんとにね。

岩田:今、大学の運営交付金が毎年1%ずつ削られているなかで、研究者は科研費を獲得するよう、大学側からハッパをかけられています。科研費は「競争的資金」と呼ばれていて、国は「独創的でイノベーティブな研究に交付する」と建前上言うんですが、実際のところ本当にイノベーティブな研究にはほぼ下りないんです。なぜなら役人が査定できないから。

 例えば、iPS細胞で山中先生がノーベル賞をとると、「iPS細胞の研究なら科研費がもらえるぞ!」と、みんなで寄ってたかってiPSの研究を始めるんです。2011年に震災が起きたら、防災対策の研究ばかりに科研費が下りるようになりました。そんなふうに右へならえで、同じテーマの研究ばかりが増えていくんです。

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