批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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経営している会社で新たな映像配信プラットフォームを作った。「シラス」という。
筆者は1971年生まれで、いわゆるIT革命に20代半ばで遭遇した世代にあたる。それから四半世紀、ネットが社会をよくすると信じてきた。けれどもこの数年確信が揺らいでいる。ポピュリズム、ヘイト、格差拡大といった暗い現象の背後にネットがあることが明らかになりつつあるからだ。
その流れにどう抗うか。ネットを離れるのも手だが、個人的には別の可能性があったとの思いが強い。
現在のネットの問題は、結局はみなが無料を求めることから生じている。いまはSNSも動画も無料利用が当然だと考えられている。けれども本当はデータも一種の「モノ」であり、保存や転送には費用が掛かる。利用者がそれを負担しないで済むのは、インフラ企業が肩代わりしているからだ。そしてその損失は最終的には、ユーザー数によって決まる広告費やバイアウト(企業買収)によって埋め合わされる。だから企業は数ばかりを追求するようになる。みなが無料を求めることが、回り回って「数だけが正義」の世界を作り出しているのだ。
だとすれば、配信者と視聴者とサービス提供企業が公正に経費をシェアするようなプラットフォームを作れば、状況は少しはマシになるのではないか。少なくとも「別の可能性」は提示できるのではないか。そう考えて開発したのが上述のシラスである。19日にオープンし、すでに配信が始まっている。数を追求せずともお金が小さく回る世界を作れないかという、一種の社会実験でもある。
ネットは技術である。だから使い方によって毒にも薬にもなる。2000年代と10年代は技術の新しさに振り回された時代だった。その帰結がトランプ現象だろう。
いまはみなが「数」を求めている。実はその点は資本主義も民主主義も変わらない。だから体制側も反体制側もネットでの動員に躍起になっている。けれども人間にとって本当に重要なのは、数の競争の外に出ることだ。20年代は情報技術がそのために使われるようになるとよいと思う。
東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2020年11月2日号