

元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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皆様も同様のことと思うが、ただいまやたらと体温を測られまくっている。どこかへ入ろうとするたびに、ちょっと失礼しますと赤外線が額にピピピ。理屈も事情も頭では理解しているが、どうも銃口を向けられているようで毎度無駄にビクビクしている。
でもある日、ふと良いことを思いつき、思い切って尋ねてみた。「で、何度でした?」
実を言うと我が家には体温計がなく(正確にはあるんだが壊れている)、長い間熱を測る機会がなかった。そして私はずっと「低体温」に悩んでいた。平熱は5度台半ば。小さい頃から末端冷え性で、冬になると手足の指に必ず「しもやけ」ができたっけ。何しろ当時は学校に暖房など当然なく、登校して冷たくカチカチになった上履きを履くのが本当につらかった。廊下がまた冷え切ってるんだよ……。
と、話が脇に逸れたが、要するに冷え体質らしく、それは長じても変わらず、しかし調べてみると低体温は免疫を下げるとかガン体質だとか不穏な情報が満載。生姜紅茶を飲んだり4枚重ねの「冷えとりソックス」をはいたりもしたが、我が体温はピクリとも上昇の気配なく、治ることはないと諦めていたのだ。なので体温計も壊れるがままに放っておいたのである。
なので、これは考えようによっては平熱を他人様がチェックしてくださるまたとない機会ではないか。というわけで聞いてみたら6度台! 聞き間違いかと思ったが、いつもだいたい6度台半ば。私ってばいつの間にか低体温を克服していたのである。こうなると強制測定も苦にならず、体温を教えてもらってはニヤニヤしている。人の感情など全くエエ加減なもんだ。
にしてもですね、なぜこうなったかを考えてみると、以前と変わったことといえば、家の冷暖房をやめたこと、ガス契約をやめて銭湯ユーザーになったことくらいしかない。つまり昔の暮らしに戻ったら冷えが消えたのだ。全く便利とか進歩とかいうものは一筋縄ではいきまへんナと、ますますニンマリする今日この頃である。
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2020年11月2日号