毎朝、50回腕立て伏せすることを習慣にしていますが、20回ほどやったところで力が入らなくなった。その時点で初めて、「何か変だな」と思いました。朝に体温を測った時は37度でしたが、1時間後には37度5分、病院に行って再度測定を行ったところ38度4分になっていて。その場で医師から検査を薦められました。PCR検査は翌日以降にならないと結果がわかりませんが、抗原検査は10分後に「陽性」と判定され、そのまま入院することになりました。
幸いだったのは、国会で近くの席に座っていた議員の方や秘書がみんな陰性だったことです。異変を感じてすぐに病院に行ったので、結果的に誰かにうつさなくてすんだのかもしれません。
──感染を知った時、何を思いましたか。
非常にショックでした。次に起こったのは「感染の事実をできれば隠したい」という気持ちです。「第1号」というのは何でも派手に取り上げられる。感染を公表し大量の脅迫電話がかかってきた、子どもが学校でいじめられて引越しを余儀なくされたといった話も耳に入っていました。なので、自分もバッシングを受けるだろうと思いました。
当時は9月半ばで、10月の国会解散の可能性もささやかれていた時期です。ともすれば、次の選挙に出られなくなるのではないかという考えも頭をよぎりました。けれど、私が隠すことでもし国会で感染が広がることがあれば申し訳がない。それで、公表を決意しました。
──感染した人がバッシングを受ける状況は現在でも続いています。
私自身、公表後に職員のお子さんがスポーツクラブの利用を控えてほしいと言われることがありました。理不尽な差別やバッシングは相当数起こっていることを認識しました。
7月末には、愛媛県今治市の飲食店で「この顔に、ピンと来たらコロナ注意!」といった言葉とともに、感染者の顔と名前が入ったチラシがばらまかれる事件が起こり、現在まで3人が逮捕されています。本人たちはいい事をしているつもりでも、感染すれば明日は自分が同じ行為を受ける側になってしまう。このような状況が続けば社会の分断が深まるだけで、何もいいことはありません。