ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、身の回りの晩秋について。
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以前も書いたが、門柱横のコガタスズメバチの巣に蜂が出入りする姿を見なくなった。かわいそうに寿命が尽きたらしい。女王蜂も巣の中で息絶えたのだろう。巣は高さ二十五センチ、直径二十センチほどのラグビーボール形で、薄茶と焦げ茶のマーブル模様がきれいだから、よめはんに訊(き)いた。
「あのスズメバチの巣、要るか」
「要る」よめはんは即答した。巣は日本画にぴったりのモチーフだという。
「巣だけではあかんやろ。蜂も描かんとな」「それは写真に撮ってます」
わたしは知らなかったが、よめはんは巣を背景にした蜂の画像をいっぱい撮っていた。
巣を採取すべく、鋸(のこぎり)と剪定鋏(せんていばさみ)と脚立をもって門柱のそばに行き、イヌマキの葉をかき分けて巣を採取しようとした。蜂が一匹、二匹と出てくる。スズメバチは攻撃する前にカチカチと警戒音を発するというが、それは聞こえない。しかしながら刺されるのはいやだから、そっと脚立からおりて家に入った。「まだ、おるわ。蜂さんたちが」「刺されたん?」「刺されたら、こんな端正な顔してません」「端正? いっぺん刺されたらどうよ」「ようそんなひどいこといえるな」「エッセイが書けるやんか」「刺されんでも書ける」そう、いま書いている。
年内いっぱい、巣は採らないことにした。
スズメバチのほかにも冬の到来を実感する──。
庭の睡蓮鉢と水槽のメダカを見なくなった。水草の下でじっとしているらしい。
池の金魚は、天気のいい日、水面にあがってくる。餌をやると、のんびり食う。
辛夷(こぶし)、石榴(ざくろ)、梅、蝋梅(ろうばい)、紫陽花(あじさい)はほとんど葉が落ちた。熊手で枯れ葉を集めていると、蝉(せみ)の脱(ぬ)け殻(がら)がたくさん見つかる。わたしが廃人……いや、俳人なら、ここで一句、となるのだろうが、そんな風雅は小指の先の爪の垢(あか)ほどもない。