——自分は何を歌いたいのか。音楽に対する姿勢を見つめ直したときに自然と思い浮かんだのは、故郷・長崎の人々と風景だ。

福山:故郷には自分を生んでくれた親がいて、その親を生んだ祖父母がいて、命の連鎖がある。その連鎖を受けて大切に育ててもらったにもかかわらず、なぜ自分はあの街を出たいと思ったのだろう、と。そこに個としての自分の在り様や葛藤を見いだして、僕は、僕自身の歌を歌い始めました。自分の親はどんな時代に生まれ、どんな人生を送ったのか。それ以前の故郷にはどんな人々がいて、どんな暮らしをしていたのか。想像は地続きに膨らんでいきました。恐らく、他の多くのシンガー・ソングライターも、キャリアを重ねるごとにそうやって自分のルーツを辿っていくんじゃないかと思うんですよね。

■当事者の視点で発信

——いつからか、福山は「時代」や「人間」を歌い始める。2014年のアルバム「HUMAN」では清濁併せ持つ人間という生物に焦点を当て、最新アルバム「AKIRA」に収録される「革命」では「なんのためにこの時代に生まれ来たのか」と歌う。

福山:シンガー・ソングライターとして30年やってきてわかったのは、表現というのは日常生活の延長線上にあるもので、社会から隔絶された空間で生み出されるものではないということです。

 若いときはセックス・ピストルズを聞いて、反体制的かつ破壊的な表現にわけもわからず魅了されたこともありました。でもそれって、学校の校則を破るやつがカッコよく見えるのと同じ程度の、表層的な理解だったんですよね。1970年代、イギリスの労働者階級の若者たちが感じていた格差社会に対する不満であったり、政府や資本家に対する怒りや憤りといったもののなかから生み出された彼らの音楽を、歌詞やメロディーで表面的になぞっても説得力がない。音楽が生まれる背景には、ミュージシャンが生きている社会や生活、時代の文脈が深く影響していると強く感じます。

(ライター・澤田憲)

AERA 2020年12月14日号より抜粋