村上春樹さんが今年4月に刊行したのは『猫を棄てる 父親について語るとき』だ。
「うちにはいつも猫がいた。僕らはそれらの猫たちとうまく、仲良く暮らしていたと思う。そして猫たちはいつも僕の素晴らしい友だちだった」
春樹さんは、まだ小学校の低学年だった。
「浜に棄ててきたはずの猫が僕らより先に帰宅していたのを目にして、父の呆然とした顔がやがて感心した顔になり、そしてほっとしたような顔になったときの様子を、ふと思い出してしまう」
幼少の一時期、実家である京都の寺から別の寺へ小僧に出された父親の心の傷を思い、日中戦争に徴兵され過酷な経験をした日々を辿る。「棄てる」そして「捨てられる」という体験。その心の傷を息子として継承しているのかもしれないとの告白は哀切だった。「歴史の片隅にあるひとつの名もなき物語として、できるだけそのままの形で提示したかっただけだ。そしてかつて僕のそばにいた何匹かの猫たちが、その物語の流れを裏側からそっと支えてくれた」とあとがきにある。
猫たちが支えてくれる──春樹さんのこんな言葉に共感する愛猫家も多いのではないだろうか。
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞
※週刊朝日 2020年12月18日号