福島第一原発事故から2年。これまで「原子力ムラ」の弊害はさまざまに語られてきたが、彼らがどう結びつき、どう活動していたのか、その実態を示す証拠は少ない。しかし、動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現在の日本原子力研究開発機構)の総務部次長だった故・西村成生(しげお)氏(当時49)が残した膨大な資料には、そのすべてが記録されていた。ジャーナリストの今西憲之氏と本誌取材班が、この「西村ファイル」を独占入手した。

*  *  *

 西村氏は1996年1月13日、宿泊先のホテルで変死体で発見された。妻と上司、同僚に宛てた3通の遺書が発見され、警察は飛び降り自殺と断定。マスコミでも、“ナゾの死”は大きく報じられた。しかし、妻のトシ子さんはこう話す。

「夫の死について動燃に説明を求めても、ほとんど情報を出してくれない。会社にあったはずの遺品も返してくれず、逆にこちらの動向を探るような対応ばかりだった。遺書の内容や遺体の状況にも不審な点が多く、『これはおかしいな』と思い始めたんです」

 不信感を募らせた遺族は、旧動燃を相手どって損害賠償を求める訴訟を起こしたが、2012年1月、敗訴が確定。しかしいまもトシ子さんは夫の死に疑念を持ち続けている。その理由の一つが、西村さんの残したファイルの存在だった。

 中央大学法学部を卒業した69年に動燃に就職した西村氏は、20代半ばでトシ子さんと社内結婚、主に文書課や秘書課など事務畑を歩み、文書課長、総務部次長と順調に出世の階段を上っていった。

「文書課では、科学技術庁や通商産業省など国に提出する文書作成の責任者でした。文書の文言から句読点まで細かく気にしていた。そんな経歴もあって、幹部が出席する会合に同席し、議事録を取ることも重要な仕事でした」(トシ子さん)

 几帳面でまじめな性格だった西村氏は、自らの仕事にかかわる資料を逐一、ファイルに収集し、保管し続けていた。そのファイルを読むと、西村さんが長年、家族にも話さなかった“秘密の業務”に従事させられていたことがわかる。西村氏は、動燃のさまざまな“暗部”に触れざるを得ない立場だったのだ。トシ子さんが続ける。

「社内結婚ですから、私も動燃のことはある程度、理解できます。でも、役職が上がるにつれて夫は家で仕事の話をあまりしなくなりました。仕事内容はおろか、出張先すら教えてくれない。亡くなる直前、珍しく会社の話をしたときは、『もんじゅの事故調査を命じられたが、もうイヤだ』と言っていた。残された資料を見て初めて、夫がさまざまなトラブル処理や“工作”にかかわっていたことがわかり、驚きました」

週刊朝日 2013年3月15日号