デザイナーの高田賢三さんが今年9月、新型コロナウイルス感染症のため81歳でこの世を去った。生前交流のあった歌手・加藤登紀子さんが別れの言葉を送る。
■心からの拍手を送ります
ケンゾーさんとのお付き合いは、1993年に放送されたテレビドラマ「夢は世界のデザイナーケンゾー・ジュンコの青春物語~石ころたちの出発」に出演したことがきっかけです。高田賢三さんを石田純一さん、私はケンゾーさんを教えた文化服装学院時代の恩師小池千枝さんを演じました。
このドラマは最後に、千枝先生の喜寿を祝うパーティーに本人たちが登場するというものです。そこで、意気投合したんです。なにしろ、私の役柄はケンゾーさんの先生でしたからね。
その前年の92年にパリのラ・シガール劇場で私はコンサートを行ったばかりでした。日本から音楽を世界に向けて発信したいとずっと考えて実現させたものです。
音楽より先に、ファッションが進出し、ケンゾーさんはもうすでにパリで注目を集めていました。音楽にも何か方法があるんじゃないかと、パリに何度も行き、そこでいろいろと相談し、アドバイスをいただいたのです。お宅にもお招きいただきました。
ご自宅はまるで博物館のようで、世界中の素晴らしい骨董が飾られていました。そこでデザインの仕事もし、気さくに、いろんな人が集う場所にもなっていたのでした。
ケンゾーさんたちのファッションが注目を集め、パリの人たちにも大きな影響を与えていました。95年にもパリでコンサートをしたのですが、お陰さまでいろんな新しい出逢いがありました。新たな価値観を生み出した「高田賢三」という存在があったことも大きいでしょうね。
99年に紫綬褒章を受章され祝賀パーティーでは親戚の方々がいらして、「こんなに有名人がたくさんいる!」って喜んでいらして、とても楽しい人たちでした。ケンゾーさん、その様子をニコニコと眺めていました。いつもニコニコして、まわりの人をやさしい目で見ている人でしたね。
私は今年の「ほろ酔いコンサート」ではケンゾーさんのことを思い出しながら、「石ころたちの青春」という歌を歌うことにしています。ケンゾーさんが亡くなった日からずっと思い出が蘇っています。だから、もう一度私たちの心の中に戻ってきてくれた。そしてケンゾーさんと共に生き始めているのです。ずっと走り続けたケンゾーさん。心から拍手をお送りしたいと思います。
(構成:本誌・鮎川哲也、太田サトル、村井重俊/吉川明子)
※週刊朝日 2020年12月25日号