広いワンフロアのオフィスで、井手が語る。
「親しみやユーモア、楽しさを事業活動全体から醸し出すブランディングをしてきました。売れないころは、変な名前だ、ビール名は3文字に決まってる、コクがあるのはダメだ、もっとすっきりドライにしろ、とか散々言われましたが、本物の味にこだわって、大切なコンセプトは変えなかった。マーケティングって顧客の支持を得ることですよね。イベントを介して友だちができる。いい思い出のなかにビールがセットされている。そういう方向で、価格競争ではなく、時間はかかるけどブランドづくりをしてきたんです」
井手は元々経営者を志していたわけではない。自然の近くがいいな、と移り住んだ長野・軽井沢で星野リゾート代表の星野佳路(よしはる)(60)と出会い、創業直前のヤッホーに営業マンとして入った。社長だった星野にシゴかれ、ときにはボロカスに言われてビジネスの戦場に立った。星野への共感、そして葛藤が井手を成長させたといっても過言ではない。井手はいかにしてブランドを確立し、顧客や社員に「てんちょ」と呼ばれる企業文化を醸成したのか。その問いを掘り下げるには星野のヤッホー創業から語り始めなくてはならないだろう。
話は、1984年、星野が米コーネル大学のホテルスクールに留学したころにさかのぼる。ふらりと入ったニューヨークのレストランで、星野は生まれて初めて手づくりのビールを口にした。ちょうど米国ではビール製造免許に必要な最低製造数量基準が大幅に引き下げられ、小さなビール醸造所(マイクロブルワリー)が続々と起業して個性豊かな味を競い合っていた。規制緩和がビールに多様性をもたらした。星野は、初めてクラフトビールを飲んだときの「直感」をこう述べる。
「これぞビールだと直感しました。ホップの香りと麦芽の濃さのハーモニーが素晴らしくて、ひと言でいえばコクがある。苦みもある。日本で大手さんのピルスナーという飲みやすいタイプのビールしか飲んでいなかった私には衝撃的でした。市場調査をすれば飲みやすさを好む消費者のほうが多く、米国も日本と同じでピルスナーばかりでしたが、規制緩和でいろんな味のビールがわーっと出てきた。すごいなぁと感じましたね」