田中:その前に、いろいろ挫折があったんです。TBSに入社した時は、朝か昼の情報番組を担当して「局の顔」になりたいと希望がいっぱいでした。でも、朝帯に抜てきされたのは同期。5年に一度の大改編に望みをかけましたが、そこでも私は起用されず、次の5年後には30歳を超えて、戦力とみなしてもらえるのか、という焦りがありました。「だったら夢は自分でつかみに行こう」とフリーになって、昼帯の情報バラエティーのメインMCに起用された時は、念願がかなったと喜びましたが、実際にやってみると、毎日情報を世の中に届けることが、どんなに大変なことか。自分の力量のなさに落ち込み、なんて分不相応なことを求めていたんだろうと、葛藤しました。
テレビに根強い男性社会の壁にも、常に行き当たった。
田中:私が「こういうネタはどうですか?」と会議で提案しても、「小娘が何を言っているんだ」という雰囲気になってしまう。予算や時間の制約など、スタッフ側の事情もわかるのですが、コミュニケーションの齟齬(そご)、モチベーションの違いには悩みました。何よりも苦しかったのは「今日の進行はどうでしたか?」と真剣に問いかけても、「うん、かわいかったよ」と、流されてしまうこと。30歳そこそこの女性が何かを伝えようとしても、伝わらないものなんだなと、厳しい現実を思い知りました。
その“空回り”は自分の力みにも原因があったと振り返る。
田中:今思えば、それこそもっと“あざとく”いけばよかったのかもしれません。アナウンサーとして認められたいというプライドに縛られて、真正面から闘って、届かなかったんだと思います。私たち女性が男性社会を生き抜く時、その術として、“女らしさ”を武器にすることと、“男らしさ”で対等に渡り合うことの両方があると思います。目標に到達するためにはどちらも正解で、自分のできる方法を採ればいい。私はたくさん壁にぶち当たり、いろいろな挫折を経験して、「だったらあざとくいこう」と半分開き直ったところがあった。そこから新しい景色が見えてきた、という感じはありますね。