デビューした1982年にセカンドシングル「少女A」でブレークした中森明菜(55)は、日本レコード大賞の新人賞を取れていない。11月に発表された5組に入れなかった。
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※「前編」の「中森明菜がひょうきんキャラから『不機嫌な歌姫』に変わるまで」より続く
その5組とは、シブがき隊に松本伊代、早見優、石川秀美、堀ちえみ。このうち、シブがきと伊代を除く3人は、発表時点でも明菜よりはるかに実績が劣っていた。しかも、その発表の前日、彼女のサードシングル「セカンド・ラブ」はオリコンで初登場2位を記録。さらに年末から年始にかけて、通算6週も1位を獲得する大ヒット曲となる。にもかかわらず、大みそかの本選ではシブがきが最優秀新人賞を受賞。トップワン歌手がカヤの外という、歌謡シーンの実情にそぐわない場面が放送される結果となった。
この原因はもっぱら、レコード会社と事務所がともに主流ではなかったことだ。ワーナー・パイオニアは1971年に小柳ルミ子を最優秀新人賞にしたが、彼女は当時最強のナベプロ(渡辺プロダクション)所属。明菜の所属は新興勢力の研音で、現在ほど強大ではなく、政治力もいまひとつだった。
そういう意味で、彼女のブレークには自力で時代をねじ伏せていった感がある。ロック調の「少女A」に続いて、せつなく歌い上げたバラードの「セカンド・ラブ」も高い人気を集め、デビュー2年目になってからもヒットを連発した。
その戦略は、かつて山口百恵が得意とした、ツッパリ路線と叙情路線を使い分けていくもの。ある意味、ワンパターンだったライバルの松田聖子にはない強みだ。ただ、キャラが見えにくいという難点もある。じつは百恵の場合、女優という武器も持っていた。そこで確立したヒロイン像が本人のキャラとも結びつき、ファンの安定した支持にもつながっていたわけだ。初期の明菜が歌う詞に登場する女性像は、売野雅勇(うりの・まさお)が書くにせよ、来生(きすぎ)えつこが書くにせよ、やや極端で、どちらが本人に近いのかよくわからなかったものだ。