自ら進んで闘魂ビンタをもらった木村政司・日大藝術学部長(本人提供)
自ら進んで闘魂ビンタをもらった木村政司・日大藝術学部長(本人提供)
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 誰が呼んだか、闘魂ビンタ。その始まりは1990年、予備校でアントニオ猪木が講演した際、ビンタされた予備校生が無事合格したため“縁起もの”として後に定番化し、ときに希望者が列をなした。闘魂注入された人たちが「至福の瞬間」を語った。

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 2009年3月12日、東京・帝国ホテルで落語家・林家三平(52)の襲名披露パーティーが盛大に開催された。

 豪華な料理が並び、落語界はもちろん、政界や芸能界などから約800人が招待されていた。宴は桂歌丸(故人)のあいさつで始まった。そのとき、控室でサンドイッチをつまみながら出番を待つ大柄な男がいた。22年10月に79歳で亡くなったプロレスラー、アントニオ猪木だ。

 三平さんが振り返る。

「猪木さんにはサプライズで登場していただくお願いをしていました。芸人のお祝い事には、歌手を呼んだりダンスを披露したりする“余興”がつきもの。父(初代林家三平)の代からのお付き合いで、お願いしたら快諾いただきました」

 宴もたけなわ、「あるお方からお祝いのコメントをいただきます」と司会者が切り出すと、場内は暗転。「イノキ! ボンバイエ!」でおなじみの入場テーマ「炎のファイター」が会場中に響きわたる。

「それなのに多くの人が、まさか本当に猪木さんが来てくれているとは思わずに、モノマネ芸人のアントキの猪木さんだと思ってたらしいんです(笑)。猪木さんが『いいですか~?』と掛け声をかけたとたん、みんなビックリ。やっと本物だって気づいてくれた」

 一同注目の中、「闘魂注入します」。猪木さんが宣言し、紋付き袴の三平師匠にビンタ。そしていつもの決めぜりふ「イチ、ニー、三平~!」と雄たけびを上げた。客席は大盛り上がりだ。

「痛いと思う間もありません。一発で違う次元に飛ばされた感覚でした。“かめはめ波~”みたいな衝撃波を食らった感じです。猪木さんは人さし指を目の前に持ってきて、その手をすーっとおなかに下ろす。私が『あれ?』と思った瞬間に、バチーン!です。体を硬直させないための動きだったんだと、あとからわかりました」

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