「『準グランプリ』に選んでいただけたのはまことに光栄ですし、嬉しく思いますが、肝心の戦争がちっとも収まらないことには、無力感のようなものを感じざるを得ません。こんな無意味で血なまぐさい戦争を続けるより、地球温暖化とか、エネルギー問題とか、飢餓問題とか、パンデミックとか、真剣に解決しなくてはならないことがいっぱいあるのに。ジョン・レノンさんも言っています、『そう思うのは僕ひとりではない』」
授賞式の控室で「さきほど村上さんの読者は世界中にいるとおっしゃっていましたが」と声をかけられた。TBS報道局外信部長の秋場聖治さんだった。5月にウクライナ軍が奪還したハルキウ近郊を取材したという。
遠くで砲撃音が聞こえる中、村のあちこちに打ち捨てられた双方の兵士の亡骸(なきがら)を見た。それぞれに待っている家族がいたのだと思いながら学校に足を踏み入れると、コーディネーターが「ハルキムラカミの本があるぞ」と瓦礫(がれき)の一角を指さしたという。
ロシア語に翻訳された『東京奇譚集』だった。
表紙の隅が擦れ、丹念に読み込まれたらしいペーパーバックの写真。秋場さんの見せてくれた画面に、僕は息をのんだ。「本の持ち主はどちら側の兵士なのか、もしくは学校の生徒あるいは教師なのか」。文学に国境はない……。
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞。新刊「松本隆 言葉の教室」(マガジンハウス)が好評発売中
※週刊朝日 2022年12月16日号