出張PCR検査を依頼した。翌日、陽性と判明した。タイでは入院が必要と診断されると、保健省の管理センターから入院先を指示されるシステムになっていた。しかし連絡はない。空きベッドがほとんどない状態に陥っていたのだ。サービスアパートのスタッフが電話にかじりつき、片っ端から病院に電話をかけ続けた。朝からはじめたが日が落ちても、ベッドひとつがみつからなかった。言葉や治療費の面で、ひとり暮らしの日本人であることはマイナス材料だった。身寄りがタイにいないため、本人の病状によっては加入保険の確認がとれない可能性があったのだ。夜になり、ようやくベッドがひとつみつかった。正面攻勢は全滅だったが、タイ人の知り合いのコネが効いた。
「タイ人のコネがなかったら、Iさんはずっと入院できなかった気がする」
Aさんはいう。翌朝、Iさんは入院。病院から日本の連絡先を知らせてほしいという連絡が入る。そこで日本の高齢化社会の現実をつきつけられた。Iさんには弟がいたが、彼がバンコクに暮らした10年の間に認知症が進み、対応ができなくなっていた。
さて、どうしようか。
不運はさらに続いた。入院先近くの化学工場で爆発事故が起きてしまう。半径5キロ以内の住民に避難指示。Iさんは系列病院に移送されたのだが、翌日……。
「タイにいる日本人は、日本にいる日本人以上の感染予防が必要なんですね」
老後をバンコクですごす知人は不安そうに語った。
■下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(週)、「沖縄の離島旅」(毎月)、「タビノート」(毎月)。