そう語るのは、原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)代表委員の金子哲夫。核廃絶運動に関わる彼ですら見落としていたくらいだから、多くの市民にとって輜重隊は遠い存在だった。
遺構が見つかったきっかけは、サッカースタジアムの建設計画だ。J1の「サンフレッチェ広島」の新しい本拠地として2024年の開業をめざしている。市は遺構を調査した後、スタジアム建設のため撤去する方針だった。
これに対し、疑問の声が続出した。市民団体の「広島文学資料保全の会」(保全の会)は、「多くの人が亡くなっている遺構を市民に公開もせず、撤去するのはおかしい」と、現地説明会の開催と遺構の保存を要望。広島県原水禁など他の市民団体からも要請が相次いだ。広島市長の松井一実は7月13日の会見で、「遺構の一部を何らかの形で保存活用する方向で検討できればと考えている」と述べ、24日、現地説明会を開き、市民64人が参加した。
遺構の保存を巡り、もう一つ大きな議論になっている建物がある。爆心から南東2.7キロにある「旧日本陸軍被服支廠(ししょう)」だ。
兵士の装備品を製造・保管していた施設で、軍服や軍靴、外套(がいとう)、下着、飯盒(はんごう)などがつくられた。兵站(へいたん)を担う重要施設として、戦前は東京に本廠(本部)、大阪と広島に支廠(支部)が置かれた。1990年代半ばまでは、建物の一部が広島大学の学生寮や、日本通運の倉庫などとして利用されていた。
建物は4棟あり、3棟は広島県、1棟は国が保有する。現存する建物では日本最古級の鉄筋コンクリート造とされ、外壁はれんがが使われている。1棟の長さは約90~100メートルで、L字形に並ぶ。長辺の3棟が連なる長さは東京駅の「赤れんが駅舎」にほぼ匹敵する。
県が2018年に保有する3棟の耐震調査を実施したところ、震度6強で倒壊の恐れがあるとの結果が出た。そのため、19年12月、3棟のうち2棟を解体し、1棟は外観保存とする案を打ち出した。3棟すべてを保存・利活用するには耐震化に84億円が必要とされ、財政的に難しかったからだ。