その約半年後、日本再軍備を求める米国政府高官に対して、憲法九条を支持するマッカー
サーが答えた言葉。
<沖縄に十分な空軍力を常駐させておけば、日本を外部勢力から守ることができる。〔中略〕沖縄を適切に開発し、沖縄に軍隊を駐屯させることで、われわれは日本本土には軍隊を維持する必要なしに、外部侵略に対して日本の安全を確保することができる。>(明田川融『沖縄基地問題の歴史』みすず書房、111頁)
これは沖縄から見れば、自分たちを「本土防衛」の「捨て石」とした沖縄戦の地政学が戦後も続くことを意味しただろう。「平和憲法」は、事実上、米軍による沖縄の軍事基地化を担保としてスタートし、旧安保条約の締結(1951年)、現安保条約の締結(1960年)、そして沖縄返還(1972年)を経て今日まで、沖縄の犠牲のもとに存続してきたのである。「本土」の沖縄に対する「構造的差別」、筆者の言葉で言えば、沖縄をスケープゴートとする「犠牲のシステム」としての日米安保体制と、「平和憲法」だけが無縁であったわけではない。
そして今、沖縄県民の反対を一顧だにせず、辺野古の新基地建設が強行されている。加えて、「南西シフト」と称して、2016年以降、奄美大島、沖縄本島、宮古島、石垣島、与那国島に自衛隊が続々と進出し、琉球諸島全体が軍事要塞化されつつある。日本政府は表立っては認めていないが、こうした動きが「中国の脅威」への対抗であることは隠しようがない。石垣島、宮古島、奄美大島には地対空、地対艦ミサイル基地が建設され、中国相手の「ミサイル戦争」の最前線に置かれようとしているのだ。