■まとめるのが得意
ソニーは1989年、第一種電気通信事業者免許を取得し、通信の世界に新規参入を図った。ブロードバンド時代への対応である。そこで、通信業界の経験者を募集した。
それに応募し、ソニーに移ったのが、通信会社の社員だった小松正茂である。
転職組だ。むろん、だからといって、不利な扱いを受けることはない。ソニーには転職組が少なくない。
小松は入社5年後、ソニーユニバーシティに参加する。グローバルリーダーを育成する場だ。それが、のちにプロジェクトリーダーを務める際の財産になる。
リーダーは、目標をはっきり定めたうえで、メンバー一人ひとりを説得し、存分に能力を発揮させなければならない。デッドラインに向けてスケジュールを管理しながら、問題を解決に導く役割も果たさなければならない。
小松には、もともとプロジェクトリーダーの素質があった。高校時代には剣道部のキャプテン、大学時代にはゼミ長を務めた。
「学生時代から、コミュニケーションをとって、みんなをまとめていくのは得意でした。勝手な発言も出てきますけど、目的と期日をもとに折り合いをつける。そんな経験を積みました」
要するに、先頭に立って引っ張っていくというよりも、人をまとめるのが得意なのだ。加えて、社内横断的な人脈も構築している。プロジェクトリーダーとして、うってつけの人材といえる。
小松が最初に取り組んだプロジェクトは、新規サービスの立ち上げだ。
ガラケー時代に有志社員と始めたプロジェクト「うたとも」がそれだ。
ソニーユニバーシティで出会ったソニーミュージックの仲間との雑談がキッカケだった。同じ音楽を聴いている人と仲良くなれるサービスを提供できないかな……と盛り上がった。個人レベルのコミュニケーションから始まったのだ。
そのころ彼は、ネットワークサービスを企画開発する部署にいた。プロジェクトの立ち上げにかかわるうち、いつの間にか、プロジェクトリーダーに祭り上げられた。事業計画書を書き上げ、予算獲得に奔走した。予算が足りないというので、終了したプロジェクトから、不要のサーバーや遊休品をもらって、ワゴンに載せて運んだ。労を惜しまなかった。32歳だった。
プロジェクトの事業決定の最終場面では、「これは、誰が責任をとるんだ」と聞かれた。
小松は、ちょっぴり逡巡した。「お前は、やれといわないとやらないのか」と詰め寄られた。「いや、僕、やります」と彼はいったが、自分の意思を示すようにと教えられた。(文中敬称略)(ジャーナリスト・片山修)
※AERA 2022年12月5日号より抜粋