間もなく賭博にのめり込み、公判でも自身が「ひと晩に2千万~3千万円を稼ぎ、最高で2億円ほどあった」と語った。工藤会は元々、賭博を主な生業とする博徒集団だ。やがて組織の目にとまり、20代初めに傘下組織幹部の「舎弟」になった。やくざ人生の始まりだ。

 内紛をめぐる「活躍」や資金集めの「実績」が評価されて86年、傘下組織の主流とされる「田中組」トップに就く。以後は90年に「工藤連合草野一家」若頭、99年に3代目工藤会理事長と組織内の階段を上っていった。

 そもそも人物像なんて語る人によって異なるのだから、ひとつに結べるわけがない。いくつか並べると……。

「象徴」「神」「天皇」(工藤会幹部、傘下組織組長)

「複雑な思いを押し殺して『上』に仕え、念願のトップ就任を果たした。人間的な魅力を備えていた」(元捜査幹部)

「単独でふらりの前任トップと違い、大勢を引き連れて飲みに来ることが多かった。売り上げ増にはつながるが周囲に威圧感を与えた」(飲食店関係者B)

「礼儀正しく振る舞うが、担当した凶悪事件で狡猾さや執念深さを感じた」(福岡県警元幹部)

「やり方に疑問を持っていたが、下手に動いた際の結果を恐れて黙る者が少なくなかった」(組織関係者)

 野村、田上両被告は判決を不服として25日、福岡高裁に控訴した。14年9月の福岡県警による「頂上作戦」で逮捕されてから7年。さらに「社会不在」が続くが、組織運営や幹部人事は依然として両被告が差配し影響力を保持しているという。

 福岡県警によると、工藤会関与が疑われる事件は03年以降で86件あり、うち殺人事件を含む54件が未解決だ。工藤会関係者は「死刑判決が出ても組織はなあんも変わらん」と話す。壊滅を目指しながら果たせないでいる警察当局にとって一審判決はひとつの節目に過ぎない。

※週刊朝日9月10日号に掲載

●プロフィール
おがた・けんじ 元朝日新聞編集委員。1958年生まれ。82年に毎日新聞、88年に朝日新聞入社後は東京本社社会部で警視庁公安、捜査一課担当・キャップ、デスクなどを経て、事件・警察・反社会勢力担当の編集委員。2021年5月に退社

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