現在は野球中継などの解説を務めるマック鈴木(筆者撮影/山岡則夫)
現在は野球中継などの解説を務めるマック鈴木(筆者撮影/山岡則夫)

■「自分が手を出したらどれだけのことになるかを勉強していなかった」

 中田は07年のドラフト1位で日本ハムに入団。これまで打点王3回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回を獲得するなど、パ・リーグを代表する選手として全国区の知名度を誇った。18年からはキャプテンを任され、同オフにはFA権を行使せず出来高を含む3年総額10億円と言われる高額契約を結び名実ともにミスター・ファイターズとなった。しかし報道通りならば、チーム内で自由奔放に振る舞うようになったことで周囲からの反感が強まり始めた。成績不振も加わり、求心力が低下したことで今回の事件へとつながったという。

「建前もあるけど暴力は絶対ダメが大前提。話を聞くと小さい頃から中田君もヤンチャだったらしいから、その時に勉強しておかないといけなかった。僕なんて10代の早い段階で勉強した。こういうことをやったら大変なことになるとね。高校中退になったり、いろいろ面倒くさいことになった。中田君はそういった部分での勉強が足りなかったのかもしれない。自分が手を出したらどれだけのことになるのかを考えなかった」

「僕の父親は甲子園に出る姿を見たかったらしいから、退学になった時に心底、失望していた。その気持ちはプロになってメジャーリーグで投げようが、取り返すことができなかった。それに関しては今でもずっと後悔している。米国マイナーリーグ時代、英語が話せない時などは長距離移動は1人でポツンしていた。そういう時に色々なことを考えた。後悔、反省することもあったし寂しい気持ちも湧いて来た。そういった経験があれば自分の立場を考えることができたんじゃないかな。感情的になって手を出したりしなかったかもしれない」

■「野球をやりに来ていないのならユニフォームを置いて去れ」

 マック自身、若い頃からヤンチャで有名だった。兵庫・滝川二高の1年時に暴力事件を起こして自主退学。その後も傷害事件を起こしたことで野球を続けるために渡米を決心した経緯がある。英語も話せない16歳は多くの経験を重ねながら野球界最高峰へたどり着いた。その中では同一チーム内で人種差別が絡むケンカも経験した。そして何があってもプロにとって最も重要なのはチームの勝利、結果であることを学んだ。

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米国では人種間で大ゲンカが勃発