TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は南こうせつさんと高円寺を歩いて…。
【写真】高円寺のレストランでハンバーグを注文した南こうせつさん
* * *
南こうせつさんと中央線高円寺駅で待ち合わせた。「50年ぶりだよ」と感慨深げなこうせつさん。
「最初に住んだのが2階建てアパートの1階で、若いのにいつも目をとろんとさせ、ぼーっとしている隣人がいてね」。1970年前後、高円寺から東へすぐの新宿にはシンナー中毒のフーテンがうろうろしていた。「あなた、こういう生活はいけないよ、体に悪い。だからやめなさいと一晩飲んで、とことん話した」
北口を歩きながらそんな思い出話をしてくれた。シンナーでラリっている若者を自分の部屋に招き入れる。そんなこと、東京人にできるだろうか。
こうせつさんはラジオ・パーソナリティでもある。ラジオマンは当事者意識が高い。傍観せず、人の心にすっと入っていく。
「高円寺は変わんないなぁ。学生運動が収束しかかり、新宿西口地下広場も警察に追われて、若いやつはみんなこのあたりをふらふらしていた。草履に髭を蓄えてね、下町っぽくて自由で個性的」
デニムジャケットに紺色の帽子、丸眼鏡のこうせつさんが颯爽と歩く。おそらく半世紀前と変わらぬ足取りで。
「お腹空いたね。あの店はまだやっているのかな?」。あったあったと入ったのがハンバーグレストラン。「メニューも変わっていない」と目玉焼きをのせたハンバーグを注文する。
その時、「ひょっとして、南こうせつさんですか?」と声をかけられ、「うん!」と答える声に他の客がこちらを向く。
「この店、森本レオさんもよくいらしているんですよ」「そうなんだ。よろしく言っておいて!」
古着屋、雑貨屋、居酒屋、ライブハウス……。高円寺には多くのミュージシャンが住んだ。「正やん(伊勢正三)も僕もアパートだったけど、(吉田)拓郎さんは立派な秀和レジデンスのマンション。成功したらあそこに住もう。そんなことを思ったりしたなあ」