なぜこんなに小粒になってしまったのだろうか。それは個人の問題ではなく、日本政治のあり方そのものを示していると思えて仕方ない。そしてそうしたリーダーに率いられる日本国と日本人一人一人が、小粒になったといわれても仕方ない。
河野太郎さんにしても、調和など気にせず自分の考えのままに突っ走れば道は開けたかもしれぬ。国民は内心、調和より突破を求めているのだから。
一〇〇代の写真を前にしてつくづく思う。「人は見かけによらない」というが、その思想行動は顔に表れる。だいたい顔や声、話し方、行動を見ていればわかってくる。テレビより、固定された一枚の顔写真の方がむしろ物語ることもある。
それには見る側の目も試されているのだから、自分の目を養っておかねばならない。
まもなく行われる総選挙。私たち一人一人の個としての物を見る目を大いに発揮して、人の話に耳傾けるより、自分のカンを信じよう。ゆめゆめ、調和など最初に考えてはならぬ。
自分の目でじっと見つめよう。「人は見かけによる」のだ。
下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中
※週刊朝日 2021年10月29日号