人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、歴代総理大臣について。
* * *
日本の第一〇〇代総理大臣の名は、岸田文雄。記念すべき国会での代表質問をテレビで聞いた。
質問は野党代表が立憲民主党の枝野幸男代表。私にとっての関心事である選択的夫婦別姓について、総理からは、国民の間には色々な意見があるから、慎重に考えていくといった内容だった。
まずこれでは進展が難しかろう。世界で選択制すら認めていないのは、日本ぐらいだというのに。この問題は単に姓の問題ではなく、ジェンダーや個に関わる根本的な考え方の違いなのだ。
もう一つショックを受けたのは、モリカケだけではなく日本学術会議の任命問題も、もう前総理の時代に決まったことだと切り捨てた。学問の自由すら保障出来ないなら、この政権も期待薄だ。
今回ノーベル物理学賞に輝いた眞鍋淑郎博士のように、今後も日本の頭脳は海外に流出し続けるだろう。何より調和が第一という日本の社会の中では、自由な発想や研究がやりにくいからだ。彼は遠まわしに、しかしはっきりと批判した。
たまたま東京新聞に出ていた初代伊藤博文から、岸田現総理まで一〇〇代六十四人の顔を、つくづくながめてみる。明治、大正はともかく昭和になってからの総理は、名前や顔も忘れている人物も多い。そして、時代を経て今に至るまでだんだん印象稀薄になり、人物が小さくなっている。
特にここへ来て菅、岸田……と将来どうなるのかと心配になってくる。
要は、はっきりして欲しいのだ。自分の考えを明確にして、実行する力と責任を持っているかどうかが顔に表れる。
一〇〇代の総理のうち、戦後だけ見ても、吉田茂をはじめ、石橋湛山にしろ、評判は別にしても岸信介にしろ、その顔つきたるや、一目見て忘れられない。三角大福など、みなそれなりに個性的で、中曽根康弘ぐらいまでは堂々と自己主張があった。