「組んでくれる会社がないのなら、自分で作るしかない」
11年10月、宇井は学部4年で学生プロジェクトのabaを株式会社化した。
そして13年のある日。宇井は千葉・津田沼の1Kのアパートで、同級生の谷本和城と二人きりの時間を過ごしていた。
そう書けば、ロマンチックに聞こえるが、宇井はオムツをつけて布団に横たわり、谷本はその横でハンダづけをしている。
「お昼に食べたカツ丼、早く出てこないかなあ」
谷本がハンダづけの手を止めて、PCの画面をのぞき込む。
「まだ出ないねえ」
「さっき食べたばかりだから。あ、きたかも!」
「おお、ちゃんと反応してる!」
宇井がオムツに排泄すると、センサーが臭いを感知してPCにデータが現れる。2人はオムツを替えるのも忘れて手を取り合った。宇井は振り返る。
「もう二人とも必死で、臭いとか汚いとか言ってられなかったんです。お金も底をつきかけて、税理士さんには『そろそろ清算を考えては』と言われて」
ロボットを作る高校生
谷本をabaに引きずり込んだのは12年。1人での開発は難しいと考えた宇井は、学部きっての凄腕(すごうで)エンジニアと言われていた谷本に、「手伝って」と頼み込んだ。子供の頃からPCを自作していた谷本は、宇井と同じAO入試組だ。面接の時、会場で自作の二足歩行ロボットをバッグから取り出し、教授の前の机にドンと置いた。
「歩くロボットを作る高校生なんて反則」。それを見た瞬間、宇井をはじめ、多くの受験生は自身の不合格を覚悟した。
大学時代、谷本は二足歩行のロボットにサッカーをさせる「ロボカップ」のヒューマノイド・リーグに熱中する。谷本が加わる前、千葉工大は世界8位だったが、参加した初年度は世界3位。2年目で優勝した。
自分の目(カメラ)でボールと相手とゴールをとらえ、AIで最適ルートを割り出してドリブルするロボットの開発には、多額の費用がかかる。ライバルの独ダルムシュタット工科大のチームは国から予算をもらい、ドクターをそろえた強力な布陣で臨む。一方、学部生がメインの千葉工大チームは、企業にスポンサーになってもらい、なんとか開発費を捻出した。