「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。
【写真】身体が不自由でお箸が使えない子どもでも食べやすいお弁当
* * *
ここ2カ月ほど、東ちづるさんが理事長をされている一般社団法人Get in touch(以下Get in touch)が「世界脳性まひの日」に合わせて行った「Warm Green Day」というイベントを通じ、障害のある方にたくさんお会いしました。
どの方も明るくポジティブで、時には自分の障害を自虐ネタとして笑いに変える強さも持っていて、皆さまのお人柄からたくさん学ばせていただきました。
私も今では「障害は不幸でもかわいそうでもない」と自信を持って言えます。でも、私が障害のある子どもの母親になったばかりの頃には、自分の人生は誰よりも不幸だと思い、子どもたちをとてもかわいそうに思っていました。
今回はそんな気持ちの変化も含め、「障害」という少し大きなテーマで書いてみようと思います。
■親友たちにも足のことを話さない息子
数週間前のことです。足が不自由な中3の息子が、部活の先輩に「足どうしたんだっけ?」と聞かれたと言って落ち込んでいました。
息子は「まぁ、触れないでやって下さい」と苦笑いをして逃げたとのこと。
私が「小さく生まれた後遺症なんですとそのまま言ったら、ふーん……で終わったんじゃないの?」と言うと、「なんでわざわざ人に言わなくちゃいけないんだよ。(話すことで)空気が重くなって、同情されるとかいらないし」と言い、自分の部屋へ行ってしまいました。
ずっと通常級で健常のお子さんと過ごしてきた息子は、自分の足の不自由さを「みんなと違うこと」と悲観的に捉える時があります。つい最近も、通りかかった小学校低学年の男の子たちに大声で「きもっ!」と言われたそうで、きっとこれまでには、私が知っていることの何百倍も傷付いた出来事があったのだと思います。学校では明るく過ごしているようですが、彼にしか分からない葛藤もありそうです。
そんな場面を見聞きすると、母親として早産してしまったことを申し訳なく思う一方、良い意味で、開き直る勇気を持ってほしいとも思うのです。
部活の先輩は次女の学年のお子さんでもあり、決して意地悪く言ったのではないと思います。おそらく、だいぶ付き合いが長くなったからこそ、聞いてくれたのでしょう。
息子は息子なりに、自分の足に障害が残ってしまった要因を理解していますが、幼稚園から一緒の親友くんたちにも詳細を話したことはないそうです。Warm Green Dayで出会った大人の当事者の方は、何がきっかけでご自身の障害をオープンに話せるようになったのだろうと、改めてイベントを思い出し考えてしまいました。