批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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たいていの社会問題は単純な正義では解決できない。その厄介さに目を向けるのが、本来の言論人の役割である。
けれどもそんな常識はいまや通用しないようだ。コロナ禍、ウクライナ戦争、旧統一教会と話題が変わるたびに世論は新たな敵を発見し、単純な善悪二元論で沸騰するようになってしまった。旗を鮮明にしないと、味方からも厳しく批判される。それでも数年前まではネット外の現実が防波堤になっていたが、いまは政治家もマスコミも大学人も皆ツイッターやユーチューブの動向に一喜一憂している。
この変化はいわゆる右傾化とは異なる。より深い場所で生じた変化だ。佐伯啓思氏は朝日新聞デジタルへの8月27日の寄稿で、いま問題なのは、リベラルの秩序の崩壊だけではなく、その背後にあった「保守の精神」の衰弱でもあると指摘している。常識や生活感と言い換えてもよい。日本ではいつのまにか、論壇やジャーナリズムの言葉が生活の足場なく勝ち負けだけを問う「論破ゲーム」に変わってしまった。