まもなく77回目の終戦の日を迎える。戦争を体験した人たちが少なくなっていき、凄惨な記憶も薄れつつある。吉永小百合さん(77)もそんな状況を憂えるひとり。戦後を代表する俳優として、戦争の悲劇を語り継ぐ活動を続けている。
【写真】23歳で映画「あゝひめゆりの塔」の主役を演じた吉永小百合さん
「戦争の恐ろしさを、俳優として感じたシーンでした」
吉永さんがそう回想したのは、映画「あゝひめゆりの塔」(1968年。舛田利雄監督)でのひとコマ。第2次世界大戦末期に沖縄で看護隊として駆り出された「ひめゆり学徒隊」の姿を描き、沖縄戦の実態を伝える名作として知られる。
主役の与那嶺和子を演じた吉永さんは当時23歳。手榴弾で自決を試みる有名なシーンの撮影では、演技の手はずを間違えて「押してはいけないボタン」を押してしまい、顔のそばで爆発させてしまった。吉永さんは全治2カ月ほどのやけどを負ったという。
映画は10日に開幕した「第11回 戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭」(千葉県流山市のスターツおおたかの森ホール、12日まで)のオープニング作品として再演された。上映後のトークショーに吉永さんが登壇し、当時の撮影秘話や平和の尊さを語った。
この小さな映画祭は主催者の手弁当で始まった。それに対し、反戦・反核への強い思いを持つ吉永さんは協力を惜しまず、2020年には映画祭の題字も揮毫(きごう)した。今年は沖縄の本土復帰50年の節目にあたり、「あゝひめゆりの塔」の上映も持ちかけたという。
この映画の製作当時、沖縄はまだアメリカが統治していた。現地でロケができず、撮影は伊豆半島で行われた。もちろんCGなどない時代。俳優たちが生身の体で、危険で過酷な撮影に挑んだ。テーマも重く、心身ともに疲弊した。
吉永さんが振り返る。
「中村翫右衛門さん、乙羽信子さんとか大先輩の方たちは、非常に抑えた中で悲しみを出していらっしゃいますけど、私たち若い者はそれができずに、ただ泣いてしまって、興奮してしまって。私自身、撮影しながら、演技をしながら、パニックになってしまうような、そのようなシーンが何度もありました」