高校の卒業アルバムで見せた笑顔
高校の卒業アルバムで見せた笑顔

「さまざまなトラウマ体験を受けながら、彼は母親を見限ることができなかったのでしょう。トラウマティック・ボンド(外傷性の絆)というのですが、同じストレスを経験していると、かえって絆の意識が強くなる傾向があります。母との関係を断てなかったことが、精神的ダメージを引きずる要因になったのかもしれません」(斎藤氏)

 海自を退職後は、宅地建物取引士やファイナンシャルプランナー(2級)などの資格を取得。だが、15年に兄が突然自殺する。葬儀で「兄ちゃん、何で死んだんや。生きていたら何とかなるやないか」と人目をはばからず嗚咽したという。フォークリフトの免許も取り、20年からは派遣社員として荷物を搬送する業務を担ったが、上司や同僚と口論になるなど職場で孤立し、退職した。精神科医の香山リカ氏がこう話す。

「自分で立ち直りのきっかけを見つけて頑張ろうとしても、そのたびに不幸なことが起きて打ちのめされてきた印象です。おそらく、社会や他者に対する信頼感が根こそぎ奪い取られているような状態にあったのだと思います。山上容疑者のように慢性的なトラウマを受けながら生きてきた人は、対人関係で敵か味方かという単純な視点しか持てなくなります。ですから、職場でもトラブルを起こしやすい。容易なことでは、この負の連鎖から逃れられないと思い、どんどん自分を追い込んでいったように見えます」

■虐待終わっても回復しない症状

 山上容疑者はなぜ、安倍元首相を狙ったのか。山上容疑者が犯行前日、松江市のフリーライターの男性宛てに出した手紙には、<苦々しくは思っていましたが、安倍は本来の敵ではないのです。あくまでも現実世界で最も影響力のある統一教会シンパの一人に過ぎません>と、安倍氏の立場を冷静に分析する記述もある一方で、<安倍の死がもたらす政治的意味、結果、最早それを考える余裕は私にはありません>と自ら退路を断ち、なりふり構わず犯行に向かう心情も書いていた。

 前出の和田氏は、山上容疑者が複雑性PTSDに陥っていた可能性を指摘する。一度の衝撃的な出来事で生じる単発性のトラウマと異なり、子どもが長期間にわたりネグレクトなど虐待を受けることで、育まれるべき心理的成長が妨げられる。このため、人格や感情のコントロールが利かなくなるパーソナリティー障害などの症状が生じるという。和田氏が解説する。

「複雑性PTSDは虐待が終わっても回復しません。成人になり普通の生活を送るようになっても、さまざまな精神症状に苦しめられます。怨恨の度合いが非常に激しくなってしまうこともそうです。教団の関連団体の広告塔に映った安倍元首相を狙った経緯には飛躍があるのですが、それも複雑性PTSDの病理なのです。恨みの対象を殺して、自分も死刑になってもいいという“拡大自殺”の心理も絡んでいた可能性があります」

 山上容疑者は、母親に翻弄された自らの人生を清算しようとしたのだろうか。(本誌・亀井洋志)

週刊朝日  2022年8月5日号

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