こんなことをずっと繰り返していたら、自分はダメになる。何か生きる目的を持つためにはどうすればいいかと考え、「映画監督になる」と決めた。17歳のときだった。
「家の前に映画館があったので、映画は小さい頃からよく観ていたんです。そうしたらあるときから、わかりやすいエンターテインメントよりも、道徳や正義や倫理を疑うような映画が好きになった。清廉潔白に生きている人より、道を外れた人や、成し遂げられなかったことがある人、辺境に生きている人たちを描くのが映画に最も求められるものじゃないかと漠然と思っていたのかもしれない」
「映画監督になりたい」という希望ではなく、「必ずなる」という決意を抱いたのは、あとで「なれなかった」と挫折する道を断つためでもあった。
「“なる”と決めたら、それは50歳でなってもいいわけだから。実際に『どついたるねん』でデビューするまでは、助監督やなんやらで映画制作に携わりながら、ほとんど睡眠時間がなく働いていて肉体的にはキツかったけど、なると決めたものに近づいていたから、イヤな思いはほとんどしたことがなかったです」

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(菊地陽子、構成/長沢明)
※週刊朝日 2022年6月3日号より抜粋