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 言葉の文字通りの意味を扱う辞書編纂者の飯間浩明さんと、言外の意味を大事にする詩人の谷川俊太郎さん。言葉への関わり方が正反対の二人が言葉について語り合った。AERA 2022年5月30日号の記事を紹介する。

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飯間浩明(以下、飯間):私は国語辞典を作っているのですが、詩人である谷川さんとは「言葉への関わり方」がある意味、正反対ですよね。

谷川俊太郎(以下、谷川):そうですね。その違い、「デノテーション(言葉の文字通りの意味)」と「コノテーション(言外の意味)」という言葉で説明できるかもしれません。

飯間:なるほど。辞書を作る人は言葉のデノテーションを主に扱い、言葉の持つ「含み」や比喩は二の次にしがちです。一方で詩を作る方はデノテーションもさることながら、その言葉の持つ含みを大事にする。

谷川:その通りです。さらに、物理学で光には「粒子性」(粒としてそこにある性質)と「波動性」(波としての性質)という側面があると言われますが、言葉にもその二つがあると詩人の故大岡信(まこと)さんが話していたのも印象に残っているんです。辞書は言葉の粒子的な側面を重視しているという感じがします。

飯間:わかります。私の立場からすると、まずは言葉の粒子的な部分を辞書の上に固定させたい。ただ、現実には言葉は固定したものではない。

谷川:そうなんですよ。

飯間:粒子性のあるものだと思っていたら、時とともに波動性を持って姿を変え、ひとところにとどまっていないんです。

谷川:辞書は、日本語を読んだり書いたりする上で必要な基準、定義を扱っています。けれども、その定義が相当、流動的。私の詩集『定義』(1975年)では「何かを定義しようとしてるうちに定義ができなくなってしまう」がテーマになったくらい。辞書を作る過程ではいろんな迷いがあるでしょうね。

■詩の部分を持っている

飯間:例えば「自分」という言葉を辞書でどう説明するか。非常に悩んだ結果、こうまとめました。「その人から見たときの、その人。私にとって、私。あなたにとって、あなた」

谷川:何だか詩みたいですね。

飯間:詩の出来損ないのような。ただ、言葉のその意味を描き出そうとするところには、普通の文章とは違うある種の味わいが出てくるとも感じています。

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