瀬戸内寂聴さんと父親の井上光晴さんをモデルにした『あちらにいる鬼』をはじめ、恋愛や夫婦について書いてきた井上荒野さんが、セクシャルハラスメントという社会問題を小説のテーマに初めて選んだ。それが『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』(朝日新聞出版 1980円)だ。
【写真】小説家デビューした当時の井上荒野さん。父親の光晴さんと一緒に取材を受けた時のショット
「人間の謎みたいなことをずっと書いてきて、その延長線上でセクハラをする人、された人の謎を書きたいと思ったんです。断罪するという目的は私にはなくて、その光景を小説家として書いてみたかったんです」
きっかけは4年前に告発されたフォトジャーナリストの性暴力問題だった。人権侵害の実態を報道する大義と性暴力が一人の人間に同居する不思議さ。こうしたセクハラ事件の加害者、被害者の家族は家でどう過ごしているのか、SNSで告発者を中傷するのはどんな人たちなのか。
浮かんでくる疑問を、自分にとって身近な文学、小説を介して考えようとカルチャーセンターの小説講座を舞台にした。
咲歩は夫との子どもを望みながらも、産みたくないと思っている。自分の体は汚れていると感じているからだ。そんな状態から抜け出そうと、以前通っていた小説講座の人気講師、月島を性暴力被害で告発する。しかし、周りの反応は冷ややかだった。
「被害者は心の中をえぐられ、生皮を剥がれたような状態で何年も生きていかなければならない。告発すると、なぜ今頃になって言うのか、なぜホテルについていったのかと言われてしまうんです」
芥川賞受賞者を育てたカリスマ講師と目を掛けられている受講生という関係の中で拒否することができず、そうするしかなかった咲歩の心情が少しずつ見えてくる。一方、加害者の月島の内面にも井上さんは迫っていく。
「加害者の視点からも書こうと最初から決めていました。加害者の理屈を考えるのは、それを理解しようとする作業なので特にきつかったですね。自分もダメージを受けてクタクタになりました」