上智大外国語学部は1958年に設置されており、64年東京大会の時は開設7年目だった。しかし、当初から難易度が高く、文学部系で早慶を凌駕していた。

 当時、東京大合格上位校だった日比谷、西、新宿、戸山、小石川など都立トップ校、そして、白百合学園、聖心女子学院、雙葉学園、フェリス女学院などのミッションスクールの成績トップ層が上智大に集まった。東京大合格間違いなしと言われた生徒が上智大を選ぶケースもあった。64年東京大会を控えて、日本はグローバル化が進み外国語が必要になる、上智大はネイティブの教員による語学の授業が整っていると、東大や早慶よりも評価されたのだろう。東京のど真ん中にキャンパスがあり、チャペルがあるミッション系ということも、人気を集めた要因だったようだ。

 64年大会以降、「上智の外国語」はさらにブランド力を持つようになり、大学全体が底上げされ、1970年代以降、大学入試では「早慶上智」という難関校グループが確立していく。

 64年大会で学生には当時としては破格の給料が支払われた。学生通訳の給料は1日2000円だった。64年当時、国家公務員初任給は1万9100円で、2019年は11倍の21万100円となっている。これを当てはめると、学生通訳の日当は現在の額で2万2000円だ。大会期間は二週間なので、現在の額で30万8000円が支給されたことになる。これに加えて、前年のプレオリンピックでの通訳、研修会出席にも同額の日当が出ていた。組織委は通訳という職能に最大限のリスペクトを払っていた。

教育ジャーナリスト・小林哲夫<文中敬称略>)

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