細胞と血、血管をイメージさせる「血のゾーン」
怪しくも不思議な生きものが住む森の中へ、酋長の打ちならす太鼓のリズムに体をくねらせながらいざなわれていく。約1カ月にわたるジャングル生活。夜になると裸になって村人といっしょに踊った。覚醒作用のあるブアイを噛む。頭の中にぼんやりと浮かび上がる個々の事象、生きものの姿が次第に関係性を帯び、つながっていく。湧き上がるアミニズム的な思考。
「水木しげるの世界じゃないですか」と、私がつぶやくと、「そうなんです」と、佐藤さんが言葉をつなぐ(戦時中、水木さんもパプアニューギニアの人々と深い交流をした)。
「ものすごく多様な自然を記録していく、と同時に自分がそこへ入って行く。というか、自然が自分の中に流れ込んでくるような、原初の感覚みたいなもの」
それは形の定まらないぼやっとしたものだという。それを写真をブラし、ボカすことで表現している。そして連続写真。「ぶつかる、と思いながら、広角レンズでババッと撮ったシカ」が、水しぶきを上げ、目の前を駆けていく。
それらのイメージはいったん静かに闇の中へ消えていく。アンデス山脈から下ってきたトラックから写した月がアマゾンのジャングルの奥を白い光跡となって流れていく。
そして再び、土の中から、水の中から湧き上がる生命。細胞と血、血管をイメージさせる「血のゾーン」。ぞわぞわとした変形菌。水面へ湧き上がる無数の気泡。網目のようなキヌガサタケ。なまめかしいアカハタの魚体に滴る血のような雨。川に沈んだシカの死骸。
そして現れるギョロリとした目、目。撮影者が生きものを観察する目。同時に、向こうもこちらをじっと見つめている。大写しにされたメジナの目。水面にひょこんと出たワニの刺すような目。「闇の中をさまよい、ぱっと見た感じで写した」ド派手な蛇の目。地面にへばりついた青い「目」の変形菌。
最後の壁面は、佐藤さんの狂気を感じさせる「デスゾーン」
そしてまた、あの酋長に導かれ、村へ。
「この壁面は、『ぼくの食べものシリーズ』。もう毎日、タロイモ生活だったので、トカゲとかヘビがあまりにもおいしくて(笑)」
「旅をしていると、被写体を食べることがすごく多いんです。釣って食べる、狩りをして食べる。だから採る、撮る、摂る。被写体だったものぼくの中に入ってくる」
そして終盤は、佐藤さんの狂気を感じさせる「デスゾーン」へ。
沖縄の毒蛇、ハブの目がこちらをギロリと見据える。薄いピンク色の口の中には毒牙がはっきりと見える。次の瞬間、大口を開けたハブがレンズの先端をパクリ。このシーンはなんと、ファインダーをのぞき込みながら撮影している。佐藤さんいわく、「死を感じる写真」だ。
「そういうジャンキーじゃないですけれど」と、言いつつも、「危険であればあるほど、死を感じれば感じるほど生きているというか、そういう感覚がある」。