服を着ていると「脱皮感」がない
そのころ、世の中は外出自粛ムードが広がり、重苦しい雰囲気に包まれていた。
「でも、私はチョーのほほんとしていたんです。なるようになるさあー、という性格なのでコロナだろうが楽観的な気分でいた」
仕事が2カ月くらいパタッと止まっても、その間に作品づくりを考えればいい。残った仕事は車で移動して、感染に気をつけて撮影すればいい。こんなときにじたばたしてもしょうがない。そう、思っていた。特に気にしてはいないつもりだった。
ところが、髪を切ることを意識すると、それまで無意識のうちに押し込めてきた感情があふれ出した。
「それまで、漠然とした不安とかを感じていないつもりだったんですよ。でも、そのとき自分の気持ちに気づいた。もう、半年、『もうそろそろ限界がくるぜ』みたいな、抑圧された鬱々とした感覚を。髪って、伸びたぶんは『その間の自分』みたいな感じがあるんです。自分の思いみたいなものが髪に宿って、重くなる。だから、それを切ることでリセットする」
しかし、「どうして裸で?」と、たずねると、初めから服を着て撮るという選択肢はまったくなかったという。
「切った髪って、まとわりつくとチクチクして気持ち悪いじゃないですか。裸のほうがその触感をずっと感じられる。そのほうがいい写真が撮れると思って」
髪は切られる瞬間まで自分の体の一部だが、切られた瞬間からゴミになる。そんな当たり前のことを田口さんはそうは思っていなかったという。
「切った髪がほうきでササッと掃かれて、さよなら、みたいになるのが小さいときから本当に疑問で、ずっと気になっていたんです。幼稚園か、小学校1年くらいのときの記憶。もう強烈に覚えています。私の髪だったのに、切られるともう違うもの、セミの抜け殻みたいだな、と思ったんです。つまり『私の抜け殻』。なので、髪を切るのは『脱皮』みたいな感じなんです。それが服を着ているとあまり感じられない」
「これで、写真展やらない? 今年出したほうがいい写真だと思う」
さっそく、「髪を切るとき、裸でいたいんだけど」と、顔なじみの美容院に電話した。
すると、「『えっ』って、1秒だけ電話の向こうで息が止まっていました(笑)。でも、『いいよ、いいよ。裸の人の髪を切るのは初めてだけど、田口さんならもうヌードしかないでしょう。楽しみ』、みたいな感じに言ってくれて」。