令和初めての新年が明けていっせいに仕事が始まりました。お正月の疲れが残ってしまっていませんか? 明日7日は七草。食べ過ぎ気味のお腹をすこし休ませるためにも、七草粥を食べるのはよいタイミングです。七草粥を食べる習慣の始まりは諸説ありますが、令和の出典となった『万葉集』にも七草の風習の起源かしら? と思える歌が載っています。あっさりと優しい味の七草粥をいただいてお正月気分から抜け出しましょう!
この記事の写真をすべて見る『万葉集』の巻頭にあるのは若菜摘みの歌!七草粥の始まり?
大泊瀬稚武(おおはつせわかたける)天皇の御製歌
「籠(こ)もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます子 家告(いえの)らせ 名告(なの)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそいませ 我こそは 告(の)らめ 家をも名をも」
万葉集の最初に出てくるこの歌の作者は雄略天皇として知られています。
新春の若菜摘みに出ている若い女性たちに天皇が「家は? 名前は?」と聞いて求婚しています。そして、この大和はすみずみまで私が統治している国ですよ、と天皇が自ら名告り(なのり)をあげている歌です。
新春、若い娘たちが若菜を摘んでいるところへ天皇が出ていき名告りを行い、その場で摘んだばかりの若菜を食し、この土地の美しい娘を妻とすることは、秋の豊作を祈りさらに国の繁栄にもつながる大和朝廷の儀礼のひとつだったということです。
みずみずしい若菜の柔らかさは、春の光に美しく光ったことでしょう。若菜を摘む娘たちの天皇を見る目も、摘んでいる若菜と同じようにうるんでいたのでしょうか。自然の中でおおらかに生きる喜びを歌う万葉の世界が目に浮かびます。
参考:
上野誠『万葉集から古代を読みとく』ちくま新書
上野誠『万葉文化論』ミネルヴァ書房
七草の名前、歌えばなんとなく覚えてしまいますね
「せりなづな五ぎゃうはこべら仏のざ、すずなすずしろこれぞ七くさ」
これが現在知られている歌でしょうか。ほかにも、
「せりなつな五形たひらく仏の座あしなみみなし是や七種」
このようなものもありますね。
七草はほとんどが薬草として効能を持っていると言われています。芹(せり)は利尿作用、薺(なずな)は止血に役立ち、御形(ごぎょう)は煎じて痰切りに、繁縷(はこべ)は産後の快復に、菘(すずな)は咳止め、腫れ物に、蘿蔔(すずしろ)は消化、便秘への効能が期待されるとされています。仏座(ほとけのざ)には薬用文献がないそうです。
このようにほとんどが薬草として効能を持っていますが、現代の医薬とは異なり、目的を持った効果が現れるものではなく、食べることにより身体の調子を整え、健康の増進を図るという穏やかなものです。
新春に萌え出でた若い芽を食べ、生命力を身体に入れて無病長寿を願うのは、旬のものを食べて健やかにすごしましょう、という考えかたに通じていますね。
参考:
鈴木昶『薬草歳時記』青蛙房
「小寒」から「大寒」へ、一番寒いときに「小豆粥」はいかが?
冬至を過ぎて昼間の時間はすこしづつ長くなっていますが、本格的に寒くなるのはこれからです。このことを『暦便覧』では冬至を過ぎて陽の気が起こると、それに対して陰の気が強くなるのでますます冷えてくる、と説明しています。寒さの中で陰陽が拮抗している、一筋縄ではいかないところが面白いですね。
私たちも思うように動けないこの寒さの中、しっかりと身体をまもっていかなければなりません。一年の邪気を払うという意味をこめて「小豆粥」を1月15日に食べる習慣もあります。お正月の行事がすべて終わった後の切りかえでもあったようですが、寒中にいただく「小豆粥」は冷えた身体を温めてくれそうですよ。
無理をしなければならないことが多い生活の中で、行事にそった風習を大切にすることは身体を守るために役立つと思いませんか。
七草粥に小豆粥、よかったら召し上がってみてください。