●〈YouTube〉に壮大なビジョンはなかった

 テクノロジーのスタートアップにも同じことが言える。

 僕たちにもお馴染みの例を挙げよう。

〈ユーチューブ〉の始まりは、壮大なビジョンがきっかけではなかった。

 世界中の動画とクリエイターと視聴者をつなぐためのグローバルなプラットフォームを目指していたわけではない。

 始まりは全く違うものだった。

 最初は、出会い系サイトの〈ホット・オア・ノット〉をパクって動画を加えた〈チューン・イン・フックアップ〉というサービスだった。

 でも、そこに人が集まらなかったので、創業者たちは他のアイデアを考え始めた。

 ひらめきが生まれたのは、2つのちょっとした不満からだった。

 1つ目は、創業者のジョード・カリムがジャネット・ジャクソンの「おっぱいポロリ」動画をオンラインで見つけられず、イライラしていたこと。

 2つ目は、共同創業者のチャド・ハーリーとスティーブ・チェンが、ディナーパーティーの動画をメールで送ろうとして、容量不足で送れなかったことだ。

 そこで、動画共有の簡単なしくみを作ったところ、反響がすごかった。

 あっという間にいくつかの動画が拡散され、ユーチューブの情報量は爆発的に伸び、動画コンテンツはすべてここに集まるようになった。

 ユーチューブが世界最大のオンライン動画サイトになったのは、壮大なビジョンがあったからでも、計画があったからでもない。

 小さなイノベーションが強烈な効果をもたらした結果だ。

 もし最初からグローバルな放送局を目指していたら、ユーチューブは生まれていなかった。

 例えば、かつて〈デジタル・エンタテインメント・ネットワーク〉というスタートアップがあった。

 ドットコムバブルの時期にテレビ番組をインターネットで流そうとしていた。

 壮大なビジョンはあったが失敗だった。

 コンテンツにカネがかかりすぎ、広告も取れなかった。

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